1.世界各国の夜
2.Speak Low
3.Hong Kong Night View feat.山田参助(泊)
4.ミスハトヤ
5.Lost Honeymoon
6.August Mood
7.東京狼少女 -Tokyo Luv Story- feat.LUVRAW
8.Waikiki Sweet Heart
9.棕櫚の庭
10.Enter The Kung-Fu Mambo
11.Kung-Fu Mambo
12.Royal Host (Boxseat)
13.チャイナブルー新館
参加ミュージシャン:荒内佑(cero)、beipana、MC sirafu、Dorian、LUVRAW、山田参助(泊)、
増田薫(思い出野郎Aチーム)、高橋一(思い出野郎Aチーム) 、松下源(思い出野郎Aチーム)、他。
初回入荷分限定特典
タワーレコード全店:Special Live DVD! / Live at LIQUIDROOM 8.8
DISK UNION 全店:Special Batch
JETSET 全店:Special Sticker
※各上記店舗のweb通販でも特典はつきます。
タワレコ特典の『Special Live DVD! / Live at LIQUIDROOM 8.8』より
Kung-Fu Mamboの映像をご覧ください。
アルバム発売までもうすぐ!全曲ダイジェスト映像を公開です!
coming soon
"世界各国の夜" 発売記念パーティー 〜2015年、渋谷〜
10月24日(土)at 渋谷WWW
Open 17:30 Start 18:00 / Ticket 2800円
出演:VIDEOTAPEMUSIC、思い出野郎Aチーム、エマーソン北村&TUCKER
DJ:コンピューマ
VIDEOTAPEMUSICのライブに下記のメンバーがゲスト出演が決定!
豪華セットでお届けします。
LUVRAW、山田参助、beipana、MC.sirafu、
思い出野郎Aチームから増田薫、松下源、高橋一
ゲストサポートミュージシャンとして出演決定
チケット:9月19日よりe+にて発売開始、mail予約も同日限定枚数受け付け開始です。
mail予約:ticket@kakubarhythm.comに
イベント名、枚数、お名前、連絡先を
明記の上、上記アドレスに送信してください。
19日の11時より限定枚数受け付け開始します。
※会場の入場はe+での購入者が優先となります
VIDEOTAPEMUSIC、待ちに待ったニュー・アルバム『世界各国の夜』がいよいよ2015年9月30日に発売される。カクバリズムからは、これが初のリリース。ceroや片想いとの深く長い交遊や、監督した数々のMV作品などを通じて、VIDEOTAPEMUSICの存在感は、音楽/映像の両面でじわじわと浸透してきた。
VIDEOくん(親しい友人たちはそう呼ぶ)が作り出す音楽は、ビデオテープというすでに役目を終えたはずのメディアを使って生み出される世にも稀なる新しいサウンド&ヴィジョン! その音と映像は、ありふれた日常をエキゾ化させ、人の記録と記憶の両方を揺さぶりながら、やがて体を踊らせるものだ。さらにヴァージョンアップしたその魅力は『世界各国の夜』で、いよいよもっと遠くまで伝わっていきそうな気がする。
というわけで、この傑作発売を記念して、超ロングなオフィシャル・インタビューを敢行した(前後編で掲載)。
世界各国、あらゆる時代の夜にうごめく人々のドラマと、ダンス・ミュージックとしてのラテンの発見がテーマだというから、これはもうかなりの胸騒ぎがする事態になってるニュー・アルバムの話を早く聞きたいところだけど、前編ではまずはVIDEOTAPEMUSIC誕生からのヒストリーをひもといてみた。その独自のスタイルの起源と変遷をたどりつつ(子ども時代の貴重なエピソードもありで)、現在につながるシーンとの交流、前作『7泊8日』以降の状況や心境の変化をじっくりと語ってもらった!
──3年ぶりのアルバム『世界各国の夜』完成おめでとうございます。これからロング・インタビューをしていくわけなんですが、そもそもVIDEOTAPEMUSICって何者なのか? 何をやってる人なのか? どこから来たのか? ってことを単純に気にしてる人も多いと思うんです。
V そうですよね。どこから話しましょうか。
──今でこそいろんなかたちで名前を知られているけど、この名前で活動を始めた当初はVIDEOTAPEMUSICとしての音楽活動をどういうものだと説明してました?
V ビデオテープの映像をサンプリングして、そのサンプリングした音と映像を同時に流して、楽器を演奏するアーティスト、ですかね(笑)
──まあ、そこの基本は今も変わらないですよね。
V そうです。でも、一番最初に名乗り始めたときはそういうことじゃなかったんです。当時は美大の貧乏学生だったから、絵を描いたり、他にお金を使わなくちゃいけないことがありすぎたんですよ。音楽もやりたいんだけど、機材も買えない。だったら、家にあるものを使ってどうにか音楽ができないだろうかと考えた結果、映像をやりたくて買ったビデオのDV(デジタル・ビデオ)カメラに音を録音するという方法で宅録を始めました。VIDEOTAPEMUSICという名前は、そこに由来するんです。
──そうか。ビデオテープで音楽を記録するから、VIDEOTAPEMUSICだったんですね。
V その頃作っていた音楽は、今よりもっとローファイでジャンクなものでした。布団や段ボールを叩いた音とか、リコーダーや水を入れたコップで作ったメロディとか、そういう身近にあるもので音楽を作ってました(笑)。初期のボアダムスとかBECKに影響を受けていたようなジャンクな宅録多重録音を、ビデオカメラに録って映像の編集ソフトで並べて音を書き出して、ビデオテープにどんどん記録していたんです。
──なるほど。それがVIDEOくんが大学生の頃だとすると、2000年代半ばくらいですかね。その頃はVIDEOくんは“微炭酸”ってバンドにも参加してましたよね。
V 同時進行でしたね。
──微炭酸では、どういう役割を?
V ピアニカをやってましたが、しばらくしてからはサンプラーも買ったりして、メロディーも演奏するけどノイズ的な音も担当してましたね。そもそも微炭酸に加入したきっかけは、大学の学祭で彼らがライヴやってるのを見て、「おもしろいバンドだな」と思ったことなんです。それで、当時宅録で作っていた音源を微炭酸のメンバーに渡したら興味を持ってくれて、「うちのバンドに入ってくれないか?」って話になって。
──微炭酸には、VIDEOTAPEMUSICという名前で参加したんですか?
V そうです。大学時代にはヒップホップ・バンドに参加してた時期もあったんですけど、それがなくなって、ひとりでVIDEOTAPEMUSICとしてやって、微炭酸にも入って、みたいな。
──その微炭酸時代に、吉祥寺の曼荼羅でceroと対バンしたんですよね(2006年5月1日)。VIDEOくんがceroの演奏に感動して、手持ちのビデオカメラに収めたという出会い。
V そうです。ちなみに微炭酸にはヤナ(柳智之/イラストレーター、ceroの初代ドラマー)や潮田(雄一)くんも関わってました。
──サウンド的にはどんなバンドだったんですか?
V 歌ものではありました。元斎ってギター・ヴォーカルの人が軸にいるけど、全員で即興的な演奏をするというようなスタイルで、音源も当時ちょっと作ったりしてましたけど、みんなが大学卒業して就職したりすると活動もあまりできなくなって、ぼんやりしたまま自然消滅しました。
──微炭酸での活動もやりつつ、ソロでの音楽もずっと作ってはいたんですよね? ビデオテープに記録した生音を加工して音楽を作っていた“初期のVIDEOTAPEMUSIC”から、ビデオテープに記録されていたさまざまな映像と音をサンプリングして音楽を作る“現在のVIDEOTAPEMUSIC”への変化していったあたりの話も聞いておきたいです。
V 学生時代に、どうしてもライヴをひとりでやらなくちゃいけない機会があったんです。当時はライヴをやるにも、楽器の生演奏だけで客席を湧かせるような技術はないし、トラックを流そうにもそういう機材も持っていないし買うお金もない。「ラジカセ使うか?」とも思ったけど「いや、ビデオデッキがある!」と思いついたんです。ビデオデッキならLINE出力もできると思って、作りためた曲をビデオテープに全部流し込んで、さらに「どうせビデオテープに記録するんだったら、映像も同時に流しちゃえ」と思って、当時作ってたコマ撮りアニメを入れてみたんです。その映像と謎の宅録ジャンクなリズムトラックを流しながら家にあったピアニカを吹くというライヴをやりました。それがVIDEOTAPEMUSICとしては初めてのライヴです。
──そうか、ビデオは映像を映せる。そこに発想の転換があったんですね。
V それで「こういうふうにやるんだったら、リズムトラックとかもライヴビデオからサンプリングしちゃえばいいんじゃないか?」みたいなことを考え始めて、徐々にそういうスタイルになっていきました。2004年くらいの話です。当時、コーネリアスがVJで既存の映像をサンプリングしてるのを見てて、「これで音も合わせてループしてたらいいのにな」とか思っていたんですよ。
──だったら、自分でそれをやってみたと。僕がVIDEOくんのライヴを見るようになったのは2011年頃で、その時点でもうすでに映像と演奏のシンクロは完成されていた印象がありましたけど、最初からこれってうまくいきました? 試行錯誤とかもありつつ?
V 試行錯誤的な時期もありました。オケを流してるだけだとライヴ感がないから、もうちょっと即興性を入れたりするためにシンセ弾いたり、サンプラーやったり、ビデオデッキを2台使ったりごちゃごちゃしてた時期もありました。でも、逆にそれだと何がやりたいか伝わりにくい。「ラッパーがマイク一本でライヴするんだったら、僕はビデオ一台、ピアニカ一本でライヴしたほうが何をやりたいのか伝わるだろうな」と思って、結局一番シンプルなかたちに落ち着いたんです。
──そこって、VIDEOくんのミュージシャン・マインドとしても重要なエピソードだと思うんです。最初にライヴを見たときから思ったけど、おもしろ実験音楽がやりたいわけじゃない。いろんな映像と音がシンクロして思いがけない笑いの要素を売りにするような態度とはぜんぜん違うところから音楽が始まってます。
V そうですね。そんなに深く考えてたわけじゃないんですけど。過去の映像や音源を現代の視点で新しく再構築していくというアイデアも、やりながら徐々に出てきたものですね。最初はこれしかやり方がなかったからやってたんですけど、そうやっていくうちに「自分がやってることっていったい何なんだろう?」って分析していくうちに、だんだんやりたいことが固まっていったんです。
──子どものときにこういうことが好きだったとか、そういうルーツ的なものを思い出すことはありませんでした? いろんなものを切り貼りするのが好きだったとか、テレビの再放送とかで自分のジェネレーションとは違う映像に反応してたとか。
V あったと思いますね。『仮面ライダー』がすごい好きでした。それも、当時最新の『仮面ライダー』シリーズじゃなくて『仮面ライダーアマゾン』とかですね(笑)
──昭和40年代後半じゃないですか。VIDEOくんはまだ生まれてない(笑)
V 僕が子どもの頃、近所の大きなレンタルビデオ屋さんに行くと、最新の『仮面ライダー』シリーズしか置いてなかったりするんですけど、ちっちゃなビデオ屋さんを探すと、微妙に古いのがあるんですよ。レアな『仮面ライダー』をディグりに、すごい遠くのレンタルビデオ屋さんまで自転車で2時間走ったりしてました(笑)。まだ幼稚園とか小学生くらいでしたけど、みんなが見てるのとおなじ『仮面ライダー』じゃ我慢できないんですよ(笑)。今、レコードやレアなVHSを探す精神みたいなものは当時からありました。
──レアな『仮面ライダー』をディグる子ども。おもしろすぎる(笑)
V あと、父親と一緒に“行ったことのない道をひたすら行く”という遊びもしてました。父親が運転する自転車の後ろに乗って、分かれ道に来ると、行ったことない方を僕がひたすら選ぶんです。いろんな街を自転車で見に行くのがすごく好きだったし、当時の僕は必要以上に知らない道に行きたがったらしくて(笑)。そしたら「こんなところに小さいレンタルビデオ屋があったんだ!」って発見もして、「ここにもしかしたら見たことないレアな『仮面ライダー』があるかもしれない!」って言ってお店に入ったりする、そういう幼少体験でしたね。
──ご近所をエキゾ化するVIDEO少年(笑)。そういえば『仮面ライダー』も初期は動植物が怪人のモチーフだったり、ジャングル的な要素もあって、あれもエキゾな番組でしたよね。
V そうですね。『仮面ライダー』にエキゾを感じてたんでしょうね。登場する怪人たちのデザインも変だし。怪人たちをずらっと紹介した図鑑みたいな本があって、動いたところを見たことない怪人がいたら、それが動いてるところをどうしても見たいわけです。だから「これが入ってるVHSはどこに行けば借りれる?」って言って、父親を連れ回して遠くの街のビデオ屋まで行ったりしてました(笑)。あと、立川とか福生の米軍住宅のあたりに行くのも好きでした。日常の中でのエキゾな風景を探すというのは好きでしたね。
──少年時代のVIDEOTAPEMUSIC、おもしろいなー。ちょっと話が脱線したんで、大人になってからの話に戻りますね。大学卒業を境に、一度は音楽活動を中断しているんですよね。
V 大学出て、就職して仕事を始めた時期は毎日忙しかったし、音楽との接点もなくなってきて、週末に家でちまちまと宅録はしていましたが、表に出る機会はほぼ途絶えましたね。それでもceroのライヴだけはたまに見に行ったりはしてましたけどね。そんな中途半端な状態だったある日、阿佐ヶ谷のバー、Rojiであった〈占いナイト〉ってイベントに遊びに行ったんです。そのとき、占い師の人に「音楽を中途半端にやってるくらいだったら、やめて仕事に専念したほうがいいですかね?」って人生相談しちゃって。占いのイベントだったのに(笑)。そしたらその人の回答が「答えはあなたの中で決まってるんじゃないですか?」というもので!
──図星!(笑)
V 今思うとめちゃめちゃうさんくさい気もするんですけど、当時の自分としてはハッとして、「音楽やらなきゃ!」っていう気持ちになったんです。それで、その頃作っていた宅録の音源を全部CD-R一枚にまとめて(『ニュービデオ』2009年)、高円寺の円盤に持って行ったんですよ。そしたら店主の田口(史人)さんが気に入ってくれて、「音源おもしろかったから、ぜひうちに置かせてほしい、ライヴでも見てみたい」って言われて、「がんばります」って答えたんです。それでブッキングしてもらったイベントが、あら恋(あらかじめ決められた恋人たちへ)の池永(正二)さん、T.V. not January、やまのいゆずる、僕だったかな(2009年7月29日 「日々の音楽~スライドショウカ~」 )。そのあたりから片想いやテニスコーツに円盤で出会っていって、また活動が広がりだしたんです。片想いと出会い、シラフ(MC.sirafu)さんと出会い、いろんな人たちを紹介され、片想いを通過して再びceroとも音楽面でも関わりあうようになっていったんです。シラフさんとつるむようになったら、必然的にceroと一緒に過ごす時間もまた増えたみたいな。
──音楽活動を積極的に再開してからは、仕事とのバランスはどう考えてました?
V とはいえ、あくまで音楽は趣味としてまだ考えてましたね。仕事はしながら円盤とかでライヴもして、ceroや片想いと遊んで。みんなも当時は自分の仕事を持って音楽も楽しく続けてる人たちだったから、自分も「まあ、仕事を今後も続けながら音楽は末長く気楽にやっていけばいいかな」と思ってましたね。
──でも、そうこうしているうちに良い意味での潮目が変わってきた。
V 2012年に全国流通盤として『7泊8日』を出して(2012年6月20日)、もうちょっと存在が人に知られるようになりました。
──その『7泊8日』もそうですけど、他人のMV作品をどんどん監督するようになったのも大きくないですか?
V 一番最初に監督したのは、画家でシンガー・ソングライターの岩永忠すけくんの「サマーマウンテンサマーシー」という曲でしたね(2010年3月31日公開)。話題になり始めたのは、片想いとのDVD『kataomoi vs videotapemusic』(2010年12月29日発売)とか、ホライズン(山下宅配便)の「期待」(2010年9月14日公開/新ヴァージョンは2012年2月23日公開)、ビーサン(Alfred Beach Sandal)の「キャンピングカーイズデッド」(2011年6月28日公開)をやったあたりからですかね。その界隈のミュージシャンに認知され、それを見た人からまた頼まれ、それに付随してライヴも増え、みたいな。当時はMV制作については、まだそんなにプロ意識はなかったですね。友達と遊びながらやっていたというか(笑)
──でも、そこに徐々に本気の褒め言葉が集まってきて。
V そうですね。最近の話ではありますけど、Gotch(後藤正文)さんのMV「Wonderland / 不思議の国」(2014年2月23日公開)とか、デカかったですね。
──それを言ったら、ceroのMVも「Yellow Magus」(2012年12月18日発売)から「Orphans」(2014年12月17日発売)「Summer Soul」(2015年5月27日発売)と3曲連続で手がけてます。もっとも、ceroに関していえば、関係の古さや近さから考えたら、VIDEOくんの起用は意外と遅かった気がします。
V そうですね。ceroのセカンド『My Lost City』(2012年10月24日発売)以降からですもんね。でも、その頃から自分も徐々に意識が変わってきたというか、「やるならちゃんとやろう」とプロ意識として思うようになっていて。経験や技術もすこしずつ身に付いてきた時期だったので自分的にはタイミングはちょうど良かった気がします。
──今は仕事もやめて、VIDEOTAPEMUSIC一本なんですよね。
V 仕事しながらずっと長く続けるのもありですけど、VIDEOTAPEMUSICとしての活動も活発になるにしたがって仕事との両立が困難になってきて、試しに人生で一回ガツンと勝負してみたいという気持ちもあり、「やるならやりなよ」と後押ししてくれる存在もいたということもあり。カクバリズムでアルバムを出してくれるとも言われましたし。
──こういうのは縁だと思うんですけど、子どもの頃から知らない角を曲がって、知らない方の道を選んできた結果だとも思うんですよ。
V そうですね。出会いをしたくて知らない角を曲がるわけだから(笑)
──知ってる道だけ曲がってたら、知ってることしかできないし。それだけじゃない何かが欲しくなるから、こういう活動をできてるんだろうし。
V たとえば、僕みたいなサンプリングが基本にある音楽の場合、「こういう曲を作りたい」と思ったら、そういう感じの内容の映画とかレコードを検索すれば何か出てくるかもしれない。だけど、そこは自分の足で探して偶然に出会ったものから使いたいと思うんです。それこそハワイの曲だったら、ハワイで実際に買ったVHSで作りたいと思う。そこには変に頑固なこだわりがあります。「知らない角を曲がる」という意味でなら、MVのロケハンとかっていろんな知らない風景を知っておくのが財産になるから、実家の車で意味もなくいろんな道を音楽聴きながら走ることも結構やってますね。
──それって、本を読んだり、映画見たり、レコード聴いたりするのとも一緒な気がします。
V おなじですね。ふらふらしてるように見えるかもしれないけど、ロケハンってことにすれば自分の中で言い訳もできる。「今日探した風景もいつかMVのネタになるでしょ」みたいな(笑)
──仕事とサボりの中間にマジックはありますから(笑)。
V そういう中で見つけたものには何かあると思うんですよ。beipanaさんの最新シングル「7th Voyage」やceroの「Summer Soul」のMVもそういう時間に見つけた場所で撮りましたからね(笑)。
──頭で考えただけじゃなくて、自分で動いて見つけたものとのつながりは、新作『世界各国の夜』にも結構はっきりと表れていると思うんですよ。比べるわけじゃないけど、『7泊8日』はもうちょっと脳内リゾート寄りで。
V そうですね。実際にあの頃は妄想の要素が大きかったです。今回は割と体を使って、動かしてます。
──『7泊8日』の頃のVIDEOTAPEMUSICは割と正体不明なアーティストで、「誰なんだ?」って感じが音楽的にもあったけど、今回は、現実に生きてるVIDEOくんと音楽がきちんとモーフィングされてきてる感じがあるんです。
V そうですね。『7泊8日』の頃は現実と音楽が剥離してるというか、音楽は音楽、生活は生活として分けていたんですけど、今は交わってきてますね。
──もちろん、その『7泊8日』には、現在につながるメッセージを持っているキーポイント的な楽曲「Blow In The Wind」がボーナス・トラックとして収録されていて。
V あれは重要な曲だった気がします。
──そもそもあの曲はどうしてあの場所に入ったんですか?
V もともと最初は8曲で終わりの予定で、『7泊8日』で8曲だったら収まりもいいと思っていたんです。それが、やけのはらさんに「今度こういうのを出そうと思うんです」って言って音源を渡したら、「一曲ラップしたいんだけど」って言われて、インストの「Mountain Train」って曲に乗せてラップしてもらうことになった。それが「Blow In The Wind」でした。ただ、元の「Mountain Train」をカットして、代わりに「Blow In The Wind」を入れるのも全体の流れが変わってしまうと思ったので、ボーナス・トラックにしたんです。でも結果として、あれが入ったことはすごくよかった。ただの妄想で終わらずに、あれでちゃんと地に足を着けてくれた感じもしましたし。
──やけのはらくんのラップだけでなく、ceroの高城(晶平)くんがサビの歌メロに参加したことで、「あ、VIDEOTAPEMUSICは今の音楽地図でこういう場所にいる人なんだ」っていう居場所の提示にもなったと思います。
V そうですね。
──実際、『7泊8日』っておもしろい立ち位置のアルバムで、2012年くらいの感覚だと、ヴェイパーウェイヴとかチルウェイヴみたいな括りに入れられてもおかしくなかったと思うんです。でも、そこはちゃんと明確に一線が引かれていた。
V “昭和チルウェイヴ”と言っている人もいましたね。僕の音楽って、ヴェイパーウェイヴとは、明らかにマインドが正反対だと思うんですよ。向こうは、たぶん、こういう過去の文化とかってゴミと思ってるじゃないですか。でも、僕にはVHSに映ってる世界や人間は宝物なんです(笑)
──ヴェイパーウェイヴの発想って、あの時代の音をプラスチックとかポリエステルみたいな大量生産大量消費時代の空虚な産物と思ってやってる部分が大きいですもんね。
V ヴェイパーウェイヴっていうジャンルに興味はあるけど、僕はそこが真逆なんです。「そんなに僕は絶望はしてないんです」みたいな(笑)
──そして、そういうVIDEOくんの考え方をいろんなところから照らしてくれる存在として、同世代のミュージシャンだけでなく、(横山)剣さん、坂本(慎太郎)さん、小西(康陽)さんたちがいて。
V 『7泊8日』を出して以降、特に意識的にそういう人たちの音楽を熱心に聴くようになりましたね。
──それは自分が作品作りに対して、何を作ろうとしてるのかって意識をはっきりと持つようになったからこその気づきなんですかね?
V そうですね。剣さんとかがずっと言ってたことの意味に気づいてCrazy Ken Bandをすごく聴いたり、ピチカート・ファイヴを熱心に聴いたりしました。それまではただ自分の思いだけで作ってたんですけど「自分がやってることってそもそもちょっと上の先輩とかだと、どういう人がいたんだろう?」みたいなことを意識するようになったんです。ずっと横のつながりで音楽をやってきたんですけど、今はもう一回、ちゃんと縦の世代を意識しようと思っています。
──なるほど。では、後編では新作『世界各国の夜』について、楽曲をひもときながらさらに深くVIDEOTAPEMUSICの世界に潜ってみたいと思います。
VIDEOTAPEMUSIC、ニューアルバム『世界各国の夜』発売記念ロング・インタビュー後編! 前編ではVIDEOTAPEMUSICのなりたちを少年時代から振り返り、前作『7泊8日』までの道筋をたどった。
いよいよ後半戦は『世界各国の夜』制作の過程と収録曲にぐいぐいとズームアップで迫ってみた。一曲一曲に込められた思いと隠されたドラマを追ううちに話はどんどん転がって、前編の1.5倍! アルバム発売前にたっぷり予習をどうぞ。 VIDEOTAPEMUSICの語る“世界各国の夜の歩き方”!
──『世界各国の夜』完成まで、僕もひとりのファンとしても3年待ちました。
V ありがとうございます。カクバリズムで出してくれるという話になって、一番最初に角張さんと打ち合わせした時点では、去年(2014年)の夏くらいっていうリリースの線もあったんです。でも、その時点では僕がまだ用意できてなかった。バンドと違って、全員メンバーが集まってスタジオでまとめて録るんじゃなくて、僕の場合は自宅で一個一個ネタを探しながら作っていくから、作りたいと思ってもすぐ作れるものじゃないんです。偶然の出会いとかが結構重要だったりして。「こういう曲が作りたい」と思っても、すぐにはできない(笑)。だから、「こういう曲が作りたい」という気持ちを維持しながら日常生活をして、偶然出会ったものにちゃんと気づいてピックアップしていくみたいな。
──日常のなかで、ひたすら出会いを待つ。インタビューの前編でも言っていた“知らない角を曲がる”感覚ですね。
V そうですね。なので、アルバムも時間がかかっちゃったんですけど。
──とは言うものの、去年の時点で、すでに「ミスハトヤ」とか「チャイナブルー新館」は、ライヴでも定番としてよくやっていた曲です。
V その2曲がアルバムのなかで一番早くできてた曲ですね。
──この2曲がアルバムの軸になっていくだろうという感じでもなかった?
V なかったです。『7泊8日』以降ライヴが増えて、この2曲はライヴでやりたい曲という感じでした。
──「Kung-Fu Mambo」も早くからやってませんでした?
V そうですね。アルバムの音楽性に関しては、あの曲も重要かもしれないですね。というのも、ライヴの本数が増えてきて、夜中のクラブとかでやる機会が多くなってきたんですけど、そうするとダンス・ミュージックを聴きに来てるお客さんを相手にすることになる。かといって、僕の音楽は人を踊らせるような感じのものがそこまでたくさんあるわけではなくて。
──確かに。「Slumber Party Girls' Diary」とか、気持ちよく揺れる感じの名曲はありましたけど。
V それで、僕もダンス・ミュージックが作ってみたいと思うんですけど、ハウスやディスコみたいな音楽をやるような性格でもない(笑)。VHSをサンプリングする作り方では、そういう良いネタもあんまりない。そう思ってたところに、落とし所として、あるときからラテンがはまってきたんです。そのきっかけが「チャイナブルー新館」でした。
──あの曲はもともとLes ANARCHOという漫画家の長尾謙一郎さん、大橋裕之さんたちがやっていたバンドの曲「チャイナブルー」のリミックスなんですよね。
V そうです。あの曲のリミックスをするときに、ラテンだったら自分のやりたい世界観を崩さずにダンス・ミュージックが作れるんじゃないかと思ったんです。そこから次に「Kung-Fu Mambo」ができて、そこでラテンに確信を得て「世界各国の夜」ができた、みたいな感じです。
──VHSに映る古い時代の映像が醸し出すまばゆい感じとギラギラしたラテン音楽の組み合わせは、はまってる気がします。
V ラテンに興味を持ったきっかけがあるんです。黄金町の試聴室で、ミスメロさん(Mr. Melody)と一緒に〈Do Pink〉ってイベントを初めてやったとき、平日の昼から始めてたんですけど、たまたま地元の社交ダンス・サークルのおじさんおばさんが入ってきて。なんか踊りたそうにしてたから「踊ってくれるかな?」と思ってディスコとかをかけたんですけど、それには全然反応しなくて、つまんなそうで。それで試しにラテンをかけてみたら、急にステップ踏んで踊りだして! 現場がものすごい雰囲気で盛り上がったんですよ(笑)。ステップ踏むわ、いちゃいちゃするわで、火がついちゃって。それで「ラテンって何だ?」って気になるようになっちゃって。
──確かにそれはショック体験。
V ラテンって、僕らよりずっと上の世代に無意識に染み付いているダンス・ミュージックっていうか、夜の音楽なんだろうなって思って。そういうところから「世界各国の夜」というコンセプトにつながっていった部分はあります。
──タイトル曲の「世界各国の夜」ができたときだったのかな? 「いい曲ができた」ってVIDEOくんから聞いた記憶があります。
V 「アルバムの1曲目にできる、軸になる曲がやっとできた」って、松永さんにも言ったと思います。ライヴ映えしそうなダンス・ミュージックというテーマを自分なりの得意なリズムで、四つ打ちとか、派手な低音とかがなくても踊らせるような曲を作りたいという思いがあって、そういう曲をひたすら作っていた中でできた曲です。この曲があれば、今僕が作ってるような曲ならどれを並べても一枚のアルバムにまとめてくれる、そんな存在の曲でした。
──その場を瞬間的に変質させるようなダンス・ミュージックとしての力を、この曲には感じます。熱さとせつなさと懐かしさと新しさが全部ある。いろんな人たちがそれぞれの思惑でざわめいてる社交場感も最高だし、トレイラーの映像にも使われてる冒頭にサンプリングされた語りからぐっとくるし、そもそも「世界各国の夜」というコンセプトがかっこいい。VIDEOTAPEMUSICが新しいパスポートを手にいれたような力が、このワードにはあるんですよ。
V これは、映画のナレーションを切り貼りしておもしろい言葉が作れないかなと思ってやっていたうちに偶然できたものなんです。もともと70年代の日本のピンク映画で、世界各国から娼婦たちが東京にやってくる実態を追うみたいな話のナレーションから言葉を取り出して、「世界各国の夜」にしたんです(笑)。その言葉のインパクトから、一気にアルバム・タイトルもできちゃった感じでした。
──映画の『世界残酷物語』(1962年、イタリア)とかも思い出させる感じありますね。
V そうですね。そういうイメージもあります。あの映画って、原題は『モンド・ケーン』ですもんね。イタリア語だと「モンド」は「世界」って意味なんですよね。
──そうそう。それが英語になると、意味が「すごい」とか「非常に」みたいに変わって、さらにそれが日本では「モンド・ミュージック」みたいにエキゾや変わった音楽を指す言葉にも変質していって。
V そう、だからそれは僕の音楽にはちょうどいいなと思ったんです。モンド・ミュージック的なものも考えていたし、「世界」って意味と、音楽の「モンド」の両方を含んでいる。
──「1943年、ニューヨーク」から始まるVIDEOくんの語りも印象的です。
V あれは全部映画の舞台なんですよ。「1943年、ニューヨーク」はウディ・アレンの『ラジオ・デイズ』(1987年、アメリカ)ですし、それぞれに舞台があって、アルバムの曲とも関係があるんです。あれは、僕の中では、片想いの「管に寄せて」とかECDさんの「復活祭」って曲で、死んでしまった偉人たちを甦れと召喚していく、そういうものに連なるイメージですね。過去にあったいろいろな夜を召喚して、ひとつづつ覗いていく、みたいな。あと、サウンド的な影響で言うと、小島麻由美さんのファースト・アルバム『セシルのブルース』(1995年)の一曲目「おしゃべり! おしゃべり!」がすごく好きなんです。デビュー・アルバムの一曲目なのに、めちゃくちゃかましてる、あの感じがかっこいいなと思っていて。それと、このアルバムを作っている最中に見たLUVRAWさんのユニット、みなと&みらいのライヴのゴージャス感。あそこからも影響受けました。だから自分もこの曲で、とことんかっこつけてアルバムを始めようと思ったんです。
──では、この流れで楽曲解説を続けましょうか。2曲目の「Speak low」。
V もともとは僕が参加してるチークタイム温度というヒップホップ・ユニットのトラックのつもりだったんですけど、なかなか作品になる機会が来ないし、曲として気に入っていたので、先に自分の曲にしてしまいました。そのときはただの気持ちのいいトラックだったんですけど、そこにスタンダード曲の「スピーク・ロウ」の歌詞を加えてだんだん肉付けしていったんです。
──クルト・ワイル作曲の名曲ですよね。作詞はオグデン・ナッシュというアメリカ人。メロディが美しいからカヴァーは昔から多い曲ですけど、歌詞の方にインスパイアされた例は世界的に見てもあんまりないかも。
V 過ぎゆく夏の儚さと恋愛の儚さを重ねたような美しい歌詞なんです。最初のアナウンスは、80年代始めのある日本映画からのセリフをサンプリングしているんですよ。テレビから鎌倉の材木座海岸についてのニュースが流れるシーンで、時期も夏の終わりで。映画の主題歌は南佳孝さんで、南さんにも『SPEAK LOW』(1979年)ってアルバムがある。そういういろんなぼんやりとしたピースが自分のなかではまって、なんとなく曲のムードがイメージできていきました。「世界各国の夜」のMCで僕が言ってる「1981年横浜、過ぎ去る夏の風景……」っていうのは、その映画のことなんです。あと、その後に続く「揺れる棕櫚の木」っていうのはCrazy Ken Bandの(横山)剣さんが本牧案内の映像で棕櫚の木の話をしてるのを見たことがあって、それを合体させた上での僕の脳内での横浜のイメージなんです。剣さんの著書『夜のエアポケット』を読んでたら、Crazy Ken Band「せぷてんばぁ」の舞台も材木座なんですよね。夏の終わりのイメージと、横浜・鎌倉あたりの勝手なイメージと、「スピーク・ロウ」の歌詞とが、81年の神奈川で全部合体したなっていう曲でした。
──3曲目「Hong Kong Night View」。
V これはもう山田参助さんに歌っていただいたことがすべてです。曲ができた順番としては「Kung-Fu Mambo」の後ですね。もうちょっとメロウで、香港っぽい中華ラテンみたいな曲を作ってみたくなったんです。じつは、去年の夏にもライヴでもインストで1、2回やってるんですよ。でも、そのときはしっくりこなくて封印してたんです。そしたら、参助さんにアルバムで何か歌ってもらうというアイデアを思いついて、この曲を引っ張り出して歌ってもらったら、見事にはまったという。
──参助さんは、漫画家として最近は『あれよ星屑』が話題ですけど、泊という戦前歌謡テイストのオリジナルをやる男性デュオのシンガーでもあって。ここでは歌詞も書いてくれてるんですよね。
V まず、これは香港をイメージしてる曲だと伝えました。映画の『スージー・ウォンの世界』(1960年、アメリカ)のイメージとも言いましたね。歌詞は二番まであるんで、できれば男性女性それぞれの視点を交えて、香港版の「木綿のハンカチーフ」みたいな歌詞にしてもらえたらいいなと思ってました。戦争が原因なのかどうかは想像におまかせするとして、何かで離れ離れになってしまった男女がいて、片方は歌手として香港で歌ってる、みたいな、なんとなくそういうストーリーで(笑)。参助さんの家でいろんな音楽聴いて、いろいろおしゃべりしながら作りましたね。
──参助さんのイメージした香港は、VIDEOくんの想定よりもうちょっと古そうにも思えます。戦前っぽいというか。
V そうなんですよ。だから、ナレーションの時代設定を最初は1997年の中国に返還される前のごちゃごちゃした感じの香港にしてたんですけど、参助さんから上がってきた歌と歌詞がもっと昔な感じだったんで、若干そっちに寄せました。
──参助さん、歌詞も歌声も入り込みようがすごいです。
V 参助さんの家でも「どんな歌い方にしましょうか?」って結構試してもらいましたね。結局、一人二役でおじさんが声を重ねて疑似デュエットをしたという(笑)
──ラジオからどうかして流れたら、みんな「なんだ? いつの時代の曲だ?」ってなるんじゃないですかね(笑)
V 泊に「青いドレスで」って曲があるんです。その歌詞に「踊りましょう」ってフレーズがあるんですけど、今のクラブ・ミュージックの気分で聴くとぜんぜんダンス・ミュージックのサウンドじゃないと思うんです。でも、これはある時代にとっては間違いなくダンス・ミュージックだし、それを想像して聴けば全然踊れる。参助さんもあの曲はダンス・ミュージックとして歌ってるんだろうなっていう思いを参助さんにぶつけたら、参助さんなりのダンス・ミュージック論をしゃべってくれて。その印象も強いですね。
──あの「青いドレスで」って曲は、すごくスローなリズムですよね。
V 歌詞では「滑り出すルンバのリズム」って歌ってます。今のクラブ・ミュージック的な観点ではダンス・ミュージックじゃないけど、本来ならダンスをするための音楽だったんですよね。そういう見落としていたものを拾っていこうということも再確認できました。この曲をめぐって、参助さんといろいろ話したこともアルバムにとってはでかかったですね。
──4曲目「ミスハトヤ」。さっきも話に出ましたけど、このなかでは一番古い部類の曲で。
V 作ったときはアルバムのことは何も考えてませんでしたけどね。
──去年の2月に伊東のハトヤホテルで開催されたイベント〈ライヴ・イン・ハトヤ〉では、予告テーマ的な存在として、わりとシンボリックに使われていました。
V もともとはPPP(PAN PACIFIC PLAYA)が綱島温泉でやった〈湯〉ってイベントのために作った曲だったんです。PPPのイベントは大好きだし、よく出演させてもらっていますが、そういうところに出ても踊らせられる曲があんまりないなっていうのはすこし気にしていて。せっかくまた誘ってもらったから、もうちょっと自分なりに場にはまりそうで、踊りに来てるお客さんも喜んでくれるような曲を作ろうかなと思って、80年代のダンスホールっぽいレゲエのVHSをサンプリングして作った曲です。レゲエって、わりと僕は禁じ手にしてたんですよ。
──え? そうなの?
V ピアニカってオーガスタス・パブロのイメージがすごく強いから、そっちに引っ張られちゃうと思っていて。だから禁じ手にしてたんですけど、温泉とダブのエコーには通じる部分があるっていう落とし所を自分なりに見つけたら、「まあ、レゲエもありかな」と思えるようになって。
──この曲は「あたしゃ湯の町 あんまの芸者~」っていうあのフレーズを発見した時点で、キラー・チューン確定したようなところがありますけど。
V 2010年に出した2枚目のCD-R『Summer Of Death』に「海底温泉」っていう1分くらいの曲があるんですけど、そこでもこのフレーズはもう使ってるんですよ。それをロング・ヴァージョンにして発展させた曲という感じもあります。
──5曲目「Lost Honeymoon」。この曲、ディープですね。ズーンと来ます。
V ディープですよね(笑)。昔作った曲「ニュー熱海」の続篇的なイメージで、亡霊たちのハネムーンみたいな曲を作ろうと。
──最後のほうに、薄ーく「Close To You」が聴こえますよね。
V あれも映画からのサンプリングなんですよ。最初のナレーションでいうと「1972年 マイアミ 憧れのハネムーン」がその映画の舞台です。ハネムーンに行くんだけど、いろいろあってお互いにうんざりしちゃって、結局男が浮気して別れちゃうというストーリーなんですけど、その映画の冒頭でハネムーンに向かう二人が車の中で「Close To You」を歌ってるんですよ。
──そうか、この曲がマイアミだったんですね。
V でも、映画の舞台はマイアミですけど、やっぱり僕の気持ちは「ニュー熱海」ですね。熱海のホテルとか秘宝館とか、古びたところを僕は喜んで歩いてるけど、何十年か前には幸せそうなハネムーンのカップルがここを訪れていたんだろうな、みたいなこと。そういう思いをサンプリングしてる自分の周りに、その幸せだったはずのカップルの亡霊も寄ってきてるのかもしれない、みたいな(笑)。坂本(慎太郎)さんが『ナマで踊ろう』で、もう人類が滅亡しているのにハトヤや常磐ハワイアン・センターのCMだけが陽気に流れてるような世界をイメージした、あの感じに近いかもしれないです。「ミスハトヤ」では「70年の今 温泉もまた著しい変貌を遂げ続けている」ってナレーションをサンプリングしてるんですけど、次の曲ではその後の世界の切なさを出すみたいな(笑)
──VIDEOくんの曲でいつもおもしろいと思うのは、サンプリングしてるセリフやナレーションを追っていても発見があるんですよね。単に雰囲気だけを拝借してるんじゃなくて、意味もつながってる。もちろん予期せぬ偶然でつながっていく部分もあるだろうし。
V ありますね。聴いてる人にはどれがどこまで伝わってるのかわからないですけど。自分のなかでは結構、そんなに意識しないでサンプリングした要素に引っ張られる部分はあります。その流れでまた次のセリフをサンプリングしたり、音が変わってきたりとかはあるんで、そういう意味では、過去の亡霊たちとの共同作業みたいなところはありますね(笑)
──過去の亡霊たちとの共同作業! その感覚は本当におもしろいですよね。今回は歌詞カードがついてるじゃないですか。歌詞というか、サンプリングされた音声が主なんですけど。
V 歌詞は僕のこだわりとして載せたんです。僕は意味も込みでサンプリングするし、それによってインスパイアされて曲ができる部分もあるので。とにかく「偶然性」とか「出会い」とか「引っ張られる」とか、そういう作り方でできる曲が多いんです。
──6曲目「August Mood」。
V これはもうタイトル通りで、8月のイメージ。それも、お盆ですね。さっきも言ったECDさんの「復活祭」みたいな、夏っぽい感じとお盆に死者たちの魂を下ろしてきて、一緒に曲を作ってるみたいな、そういうイメージをドン!とインストで出してみた感じです。これは細々としたネタは入れずに、ストレートにやりました。
──サウンド面では、思い出野郎Aチームの貢献がこの曲では特に大きいと感じます。
V そうですね。ホーンもパーカッションも入ってグルーヴィーな感じで、彼らと一緒にやることが曲の前提になってますね。彼らの音も含めて、過去のいろんな夏の思い出たちが塊になって押し寄せてくるみたいな感じです。角張さんもレコーディングのとき言ってたんですけど、思い出野郎のマコイチくん(高橋一)のトランペットって、すごく“甲子園感”があるんですよね。その甲子園っぽさも、8月やお盆と相性がいい(笑)。お盆、夏、終戦、みたいな夏のいろいろがごちゃごちゃにあって。あと、隠し味的には実家にいた頃に短波ラジオで北朝鮮とかの電波を受信して聴くのが楽しくて、それをエアチェックしたときの音源もサンプリングしてこっそり使ってます。世界各国の過去の亡霊みたいなものが電波に乗っていろいろ混ざってくるイメージですね。
──7曲目「東京狼少女 ~Tokyo Luv Story~」。
V DUB MASTER Xさんとピアニカ前田さんが一緒にやった曲のカヴァーです。こういう自分の好きな曲をやっている先輩の曲を何かカヴァーしたいと思ってました。前半のインタビューでも言った、自分たちの先輩たちとの縦軸への意識があって、ここで一個筋を通しておこうと。ceroが小沢健二の「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」(シングル『Orphans / 夜去』収録)をカヴァーしたことにもちょっと影響を受けてるんですけどね。自分の現在の立ち位置を確認するという意味でも、特に影響を受けた少し上の世代の方の曲をやることは意味があると思ったんです。
──原曲はインストなんですよね。VIDEOくんがカヴァーしたのは別ヴァージョンで、Youさんが歌と作詞を担当していて。それを女性シンガーではなくLUVRAWさんにやってもらうというのが、VIDEOくんらしいつながりを感じます。
V LUVRAWさんのことは本当に好きなんです。去年NOPPALさんの「Lazy Sun Day」って曲を一緒に作ったんですけど、自分の曲でもいつかやってもらいたいと思ってました。この曲、最初はインストでカヴァーしようと思ってたんですよ。でもやっぱりピアニカ前田さんの曲を僕がピアニカでカヴァーするのってすごく勇気がいるというか、「ただピアニカが下手になっただけじゃないか」って言われそうで(笑)。それで、Youさんが歌ってるヴァージョンをカヴァーすることにして、そのときに、この女の子の歌詞をLUVRAWさんが歌ったらめちゃめちゃはまるんじゃないかなと思って方向転換したんです。LUVRAWさんに提案してみたら「この歌詞最高っす!」って返事で、やってくれることになりました。今回、参助さんにしろLUVRAWさんにしろ、僕がお願いした男性シンガーが二人とも、すごく美学がある人なんですよ。
──そうですね。めちゃくちゃ単純にいうと昔気質というか。
V 二人とも自分の中に美学を持っていて、外見も内面も作品も全て一貫していて筋が通っている人だと思っています。この二人を起用すること自体が、もうアルバムのコンセプトに通じているというか。
──とにかく、これはもう最高のカヴァーなんで、ぜひ、シングルカットしてください! お願いします! で、8曲目「Waikiki Sweetheart」。
V これはもうコンセプトありきというか、ゲーム性のある曲です。以前にHALFBYさんがハワイに行ったときにお土産にVHSをいっぱい買って来てくれて、それを使って曲を作ろうとしてみたんです。ただそのときは今ひとつうまくできあがらなくて中途半端にほおっておいたんですけど、今年僕がハワイに行く機会があったので、そこで実際に買ったVHSからのサンプリングをさらに足して完成させた曲なんです。
──VIDEOくん自身が実際に行った体験によって、ハワイが自分の側に引き寄せられてますね。
V そうですね。楽曲的には、気楽なインタールード的位置付けではあるんですけどね。
──9曲目「棕櫚の庭」。語りの飯田華子さんは『7泊8日』以来の再登場。あのアルバムのバレアリックな南国感とのつながりも感じさせるトラックで。
V 最初は棕櫚じゃなくて、椰子の木をイメージして作ってたんですけど、どうもイメージがぼんやりしたんですよ。そんなときに、最近、剣さんが言及してたりすることもあって棕櫚の木が気になっていたこともあって、棕櫚に変えたら、ぴったりきたんです。
──いいですね。ここでもちゃんと自分の側に寄せて再解釈がされていて。
V ある程度の昔の日本の団地とか住宅には、たいがい庭に棕櫚が生えているんですよね。それがすごく気になっちゃって、棕櫚を植えるようになった起源とかも調べたりしたんですよ。あと、世田谷の奥沢に海軍村というところがあって、そこも戦中とかに海軍の将校がたくさん住んでた場所で、そこにちょっとだけ昭和のままのお屋敷が残っていて、そこには必ず大きく育ちすぎた棕櫚の木がいっぱい生えていて。棕櫚って全然そこらへんで普通に生えてる木なんでけど、一見椰子の木っぽくて南国っぽいムードがありますよね。そういう南国っぽさのブームの起源って諸説はあるんですけど、とにかく椰子の木じゃないのに、自分に言い聞かせて、身近に日本で手に入る棕櫚で工夫して南国感出してる感じが結構自分的にはピンと来たんです。それは自分の音楽ともリンクする気がして。これはもっと掘り下げたいモチーフですね。
──そして後半のハイライト。10曲目「Enter The Kung-fu Mambo」をイントロにしての11曲目「Kung-fu Mambo」。
V 「ミスハトヤ」を作って「チャイナブルー新館」を作って、そういう“ダンスミュージックやりたい欲”がラテンとぶつかって一番沸点に達したような曲ですね。アッパーだし、カンフーというモチーフともうまくぶつかってる。自分にとっては、“カンフー”というキーワードを使うことで、普通なら恥ずかしくて上げられなかったテンションを上げてみたという曲でもあります。
──そういえば、本(秀康)さんにも「カンフーの曲を作りなよ」って言われてましたよね。
V そうですね。僕の本名の下の名前が功夫で“カンフー”って読めるからって理由で(笑)。でも、逆に僕は変に意識しちゃってて、そんなにカンフー映画を見てなかったんですよ。そしたら本さんが「イチから教えるから」ってDVDを何枚か送ってくれて。全部にすごく細かい解説が付いてて(笑)。それをたくさん見ながら作った曲なんです。自分にとっては新機軸で、おもしろかったですね。初めてライヴでやったときは不安でしたけど。
──確か南池袋のミュージックオルグでやったのが最初じゃなかったでしたっけ?(2014年5月5日) すごく盛り上がってた記憶があります。
V このテンションに自分が乗れるかどうかが不安でしたね(笑)。でも一緒に演奏してくれたbeipanaさんも「これはおもしろいんじゃない」って言ってくれたので「がんばろう!」と思いました。
──12曲目「Royal Host (Boxseat)」。この曲すごく好きですけど、これはあのファミレス・チェーンの名前?
V そうです。『世界各国の夜』ということで、いろいろな時代や世界の夜をコンセプトにやってきたけど、最後に自分の個人的な愛おしい夜をテーマにした曲をやってみたくなったんです。これは世田谷通り沿いに実際にあるロイホが舞台なんですよ。深夜2時までやっているのでたまに行くんですけど、近くにはスタバやTSUTAYAもあって、近くの学生たちがたむろしたり、スケボーしたりしてて。その風景を見ながらロイホでぼおっとしてるのはすごくぜいたくな時間で、すごく好きな夜なんです。それを曲にしたかった。
──なんだか群像劇っぽい感じがしますよね。この曲に具体的な群像は描かれてないけど、この曲が流れてる夜にいろんな人間たちがいるっていうのはわかる。
V 一曲目で世界各国の華やかな夜があるから、最後の、というか最後から一曲前ですけど、もうちょっと個人のいろんな人のひとりの夜をもう一回ピックアップする、みたいな感じです。ロイヤルホストって、閉店のアナウンスが詩みたいで、すごくいいんですよ。そのフレーズが、夜の風景とすごくマッチするんです。じつはエア録りしたアナウンスをこの曲では聴こえないくらいのヴォリュームで薄くサンプリングしてあります。
──「にぎわしいざわめきと……」ってやつですよね。確かに、えらく詩的です。
V 本来のアナウンスの冒頭は「ハイウェイを走る車のテールランプの光が…」という感じで始まるんですが、それを「『exotic penguin night』の歌詞みたいで、いいんだよね」って高城くんに言ったら、「あの曲って、それからインスパイアされて作ったんだよ」って言ってました。だから、「exotic penguin night」と「Royal Host (Boxseat)」はおなじネタなんです(笑)
──このムードのまま、『世界各国の夜』は一応クロージング……、と思わせておいて、最後に始まる「チャイナブルー新館」。
V 最後にもう一回よくわかんない妄想に引きずりこまれちゃいます(笑)
──さっきも話に出ましたけど、この曲がラテン路線の振り出しでもあったわけだし、この曲で終わるって構成が、僕はすごく好きです。ロイホが閉店して、とぼとぼと家に帰って、何気なくテレビつけたら、場違いなくらいのテンションで80年代のアメリカ青春映画が始まって、それでなんとなく救われる気がするっていう。そんな場面を思い出しました(笑)。
V ちょっと悩んだんですよ。コンセプト的には「Royal Host (Boxseat)」で終わったほうがきれいに締まるんですけど、サウンド的にこの曲でもう一回ひと騒ぎしたいと思ったんです。だから、ボーナス・トラックというか、アンコール的な位置でもあります。
──映画のエンドロールみたいでもありますよね。今日という日のエンドロールでありながら、明日のオープニング・タイトルにも感じられる。それはひとえにこの曲がいい曲だから、ということもあるんですけど。
V そうです! 長尾謙一郎作曲! 原曲が発表された当時は名前は伏せられていたんですけど、本人に確認したら「今は大丈夫です」ってことだったんで、あえてクレジットさせていただきました。Les ANARCHOのリミックスとして作ったんで、ギターも長尾さんが弾いてる音を使ってます。ただし、原曲はもっとサイケ・オールディーズみたいな感じだったので、僕はそれをラテンっぽくしてみてます。
──最初にVIDEOくんがリミックスしたときのタイトルは「チャイナブルー熱海」でしたよね。それが今回は「チャイナブルー新館」になって。
V この曲、初めてライヴでやったのが熊本だったんですよ。
──ああ、坂口恭平主催イベントの〈まぼろし〉(2013年3月23日、熊本NAVARO)!
V そのときにめちゃめちゃ盛り上がったんで、「これはいける! アリだ!」と確信したんです。それ以降、ライヴではだいたい最後にやるようになりました。そういう意味でも、エンドロール的ですね。
──ceroの『Obscure Ride』の取材のときに、荒内くんが「今の時代、60分くらいの時間をひとつの気分を変えないでいられることは貴重な体験で、このアルバム(『Obscure Ride』)はそのためのBGMでありたい」みたいな言い方をしていたのが印象に残ってるんです。この『世界各国の夜』にも、それと通じるBGM感を持ちました。
V それはありますね。BGM的にも聴いてもらいたいし、一本の映画のようにも聴いてもらいたいですね。車で聴いてもらってもいいし。僕はよく車で音楽を聴くから、そういうのにも合うと思います。
──もちろん、わいわいがやがやしてる中でのBGMとして聴いてもいいんだろうけど、それにしてはこのアルバム、みんなが思うよりもっといろいろなドラマが音楽の中で起こってますよ、っていう。そこが、かつてあったようなエキゾチカやラウンジをただ真似て演奏する行為とは違って、VIDEOTAPEMUSICは、そこを自分で消化して、その先にあるオリジナルなものを作り出すアーティストなんだという証拠でもあると思うんです。さて、VIDEOTAPEMUSICとしては、今後どういうことをやってみたいですか?
V 今までよりもう少し表に出て行こうという気持ちもありつつ、もっと総合的というか、自分がプロデュースする側に立つことにも興味があります。たとえば〈ライヴ・イン・ハトヤ〉みたいな企画をしたのはそういう意味ではすごく楽しかったです。音楽とか映像で僕はアウトプットをするけど、見てくれる人にはそれ以上を与えたいし、何ならそれをきっかけに初めて行く土地に一泊温泉旅行でもしてくれたらなって(笑)ステージの上のことだけじゃなくて、そこまでの道のりで見た景色とか、一緒に行った人と話したこととか、帰りに食べたご飯とか、「ライブで使われていたあの映画をひさびさに観直したい」と思ったりとか、そういったことがむしろ主役になっちゃってもいいので。
──それこそ、この『世界各国の夜』を題材にしたパーティーを、いろんな場所でできたらおもしろいと思います。
V そうですね。銀座にある東宝ダンスホールとかでやってみたいですね。
──今、東京って外国からの観光客多いじゃないですか。ああいう人たちを「ライヴあります」ってナンパして、各国無作為に招待して、そういう絢爛豪華な場所で見てもらったらおもしろいでしょうね。その人たちの存在自体が世界各国を象徴する舞台装置になって、最高のパーティーになる(笑)
V いいですね、それ(笑)。ライヴは、そういうことも込みで考えていきたいんです。ただCD出して、ライヴやって、っていうんじゃなくて、ライヴをするにしてもその街の歴史みたいなものもちゃんと引き受けるようなやり方。映画のセリフを僕が意味も込みでサンプリングしてるように、ライヴをやる場所にも意味を込めて筋を通していきたいというのもすごくあるんです。
──そういうことをこれからは自分がもっと前に出てやっていってみようという意気込み。それが今回のアルバムであり、アー写であり。ついに顔出ししましたもんね。
V ちょっと心配ですけど(笑)。でも今回は中途半端にはやりたくなかったんです。「かましたい」と思ってやりました(笑)