cero / Yellow Magus 2013/12/18 ON SALE
 
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ライブ情報の詳細はカクバリズムのライブページをご覧ください。
 
INTERVIEW
 

〜前編〜 

この、ceroのオフィシャル・インタヴューは、これまでと同様、阿佐ヶ谷のカフェ/バー<Roji>で行われた。夕方、待ち合わせの時間にドアを開けると、髙城晶平がいつものように開店の準備をしていて、少し経った頃、荒内佑がいつものようにポーカーフェイスで登場し、だいぶ経った頃、橋本翼がいつものように「いやぁ、家を出ようしたら鍵が見つからなくて」とか何とか言い訳をしながらやって来た。一方で、時の流れを感じることもある。2010年末にファースト・アルバム『WORLD RECORD』についての取材を行った際は、現在はジャケットのイラストレーションを手掛けている柳智之がメンバーとして同席していたし、2012年秋にセカンド・アルバム『My Lost City』についての取材を行った際は、当然、話題は東日本大震災とその後の日本の社会に向かっていった。そして、今回。ひと通り近況を報告し合い、そろそろ、インタヴューを始めようという段階になって、我々はこれまでと違って、コーヒーではなくビールをオーダーした。ceroの初めてのシングルで、彼等が挑戦的に送り出す踊ってはいけない国のダンス・ミュージック『Yellow Magus』についての話を聞くなら、少し酔っているぐらいがちょうどいいだろう。新たな船出に、乾杯を。

 

 

 

――『Yellow Magus』は昨年の10月に出た『My Lost City』以来の作品になるわけだけど、リスナーとしては、あのアルバムのテーマがヘヴィだったこともあってまだまだ消化しきれていないというか、1年以上、リリースがなかったとは思えないんだよね。
髙城 ceroとしても、この1年、色々と動いていたのであっという間でしたね。まず、今年の2月ぐらいまで『My Lost City』のツアーをやって、その後、『Yellow Magus』に繋がる大きな動きになったのが、9月に<リキッド・ルーム>でやったワンマン。もともとは、そこを「『My Lost City』以降の集大成にしよう」みたいに考えていたんですけど、それは、ツアーのファイナルの<(渋谷クラブ・)クアトロ>で達成出来た感じがあったんで、むしろ、ああいった大きな舞台を使って次の展開を見せようと。その布石として、6月の<下北沢インディーファンクラブ>から、ベースの(厚海)義朗さんとドラムのみっちゃん(光永渉)に入ってもらって、ライヴの編成を新たにしました。ceroは、今までマルチ・プレイヤーの集まりで、それぞれの楽器のポジションをはっきりとは決めてこなかったんですけど、言わば専門職的な2人を迎えて、足場を固めることで、他のメンバーに余裕をもたせたんですね。
――『Yellow Magus』に収録されているツアーのドキュメンタリーを見ると、ファイナルの<クアトロ>のステージでは髙城くんが泣いているように見えるんだけど……。
荒内 あれって泣いてるの?
髙城 な、泣いてたかな? 感極まってはいた。まぁ、僕は日常的に感動しいで、節目でも何でもないライヴでうるっときたりしがちではあるんですけど、やっぱり、『My Lost City』は紆余曲折があって出来たアルバムで、それが波及したことを全国を周りながら凄く身に染みて感じましたし、ここ(<Roji>)に友達や常連さんを呼んで、合唱を録音したこととかを思い出して……。
――感極まっていたのは、「Contemporary Tokyo Cruise」の、その合唱のパートだよね。
髙城 そうそう。そういう、プライベートなものを(観客の)皆が覚えて歌ってくれているっていう光景に、何と言うか、もう、「うわー」って……。ぐっときましたね。
――『My Lost City』は、僕の解釈だと、震災に感じてしまったカタルシスに対して落とし前を付けるというか、倫理的にも危ういテーマを扱ったアルバムで、ceroの3人も世に出す前はどう受け止められるか不安がっていたように思うんだけど、結果、好意的に評価されたと言っていいだろうし、問題作のような扱いにはならなかったよね。そのことについてはどう考えていますか?
橋本 出したあとの反応は少し意外でしたね。ポップミュージックとして楽しんでくれているのは分かったんだけど。
荒内 「ヘヴィなアルバム」と言ってくれる人の方が少なくて、楽曲のポップさに反応しているひとが多かったよね。まぁ、もともと、震災とは図らずも内容がリンクしてしまったわけで、「震災をテーマにしたアルバム」みたいな打ち出し方をするつもりもなかったんですけど。むしろ、現実との距離の取り方に関してはかなり神経を遣いましたし、あくまでポジティヴなアルバムにしたかったので、それが上手くいったとも言えるのかな。
髙城 最近、聞いてびっくりしたのが……あのアルバムのミックスで、はしもっちゃん(橋本)はSEを色々と混ぜ込んでいて、風呂に潜ってブクブクブクって溺れる音とかを使っているのは知ってたんですけど、実ははしもっちゃんがお父さんと電話してるときの音とか、お母さんが晩ご飯をつくってるときの音とかを隠し録りして、それも、全部、ねじ込んでるっていう。
――どういう意図で?
橋本 記録として残しておきたかったっていうか……あのアルバムはポップな曲が多いけど、それだけではない重さを持った音楽だからこそ、そういう音を入れておきたいと思って。
髙城 そうやって、生活音が混ざり込んでいると知って聴き直すと、妙に生々しく感じて、ゾワ~ってなったよ。
――例えば、どの箇所で使ってるの?
橋本 「Contemporary Tokyo Cruise」の、「いかないで、光よ」のピアノリフ部分から、「巻き戻して」あとの逆再生が始まるまでの部分ですね。
髙城  よく聴くと、子どもの声とか入ってるよね。
――うわぁ……。つまり、生活を海が飲み込んでいったってことだ。
橋本 曲の最初と最後でも、<Roji>でみんなにランダムに声を出してもらったものを入れたんだけど、改めて聴くとうめき声のようだよね。
荒内 あの曲が隠し持ってる恐怖感みたいなものは、はしもっちゃんが入れたSEに依る所が大きいんじゃないかな。例えば英語が分からない人がマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』を聴いて、ポップさの中にどこかシリアスな印象を受けるみたいな。
髙城 そうだね。むしろ、震災云々っていう意味付けから切り離された後の世代の子たちの方が歪さを感じてくれるかもしれない。
――3人としては、『My Lost City』が意図した通りには受け止められなかったという思いもあるんだね。
荒内 テーマがヘヴィでも、ポップスというものは強い伝播力を持っている。それはポップスの凄さでもあるし、怖いところでもあるなって。
髙城 でも、もしかしたら、みんなああやって震災が掌サイズに収まったことで安心したのかもしれないよ。『あまちゃん』じゃないけど、つくりものの震災を体験し直すことによって、心の傷を癒すというか。
―― "津波ごっこ"ってやつだね。震災直後、被災地で子供達が津波の真似をして遊ぶのを大人たちは止めさせようとするんだけど、実はそれは自然治癒力のひとつだという。誤解を承知で言えば、ceroにとっても『My Lost City』は"震災ごっこ"だったのかもしれない。
髙城 そうですね。あのアルバムで不安を音楽に転換したという側面はある。
橋本 ライブなどでも「楽しいのに泣きそうになる」みたいな感想を聞いたことがあるから、無意識に不安な部分を感じ取っているひとも多いのかもしれないですね。
――そんな『My Lost City』から『Yellow Magus』へは、どうやってモードが切り替わっていったの? 大作をつくり終えて燃え尽きたような感じになってしまったのか、あるいは、やり残したことがあると思ったのか、すぐに新しい発想が湧いてきたのか。
髙城 確かに燃え尽きたような感じもしたんですけど、1、2ヶ月ぐらいのものだったような。そうも言ってられずツアーが始まって、夏になるとフェスの予定がたくさん入ってきて。それに、自分たちの音楽の伝わり方って、どーんと爆発するよりは、じわじわと広がっていく感じで、実際、『My Lost City』はリリースから時間が経っても売れていましたし、アルバムの波紋の中で今年1年を過ごしたような感じはありましたね。
――あのアルバムはバズ(羽音)というよりは、ツイート(さえずり)という感じで静かに波及していったよね。
髙城 新曲に関しては、夏辺りから、別にどういったフォーマットで出すとか考えずにデモを制作し始めて。それが、「我が名はスカラベ」と「Ship Scrapper」なんですけど、『My Lost City』をつくり終えて、「次は大作よりも短編集を」というふうに興味が移っていったんですね。そこで、日常的に録っている音ネタに乗せる素材として、ネットで見つけたニュースを小話にする手法を思い付いて、習作でその2曲をつくってみたら、凄く楽しくて。2人にデモを送った時は、「配信でシリーズ化したらどうかな」と言ったような気がします。
――それは、ニュースをネタにするという時事性のあるつくり方だからこそ、早く出したかったということ?
髙城 いや、「我が名はスカラベ」は今年のニュースがネタになっているんですけど、「Ship Scrapper」は2006、7年のニュースを遡って見つけてきてつくったものですし、別に"今"を切り取ろうとしたわけではなくて。"事実は小説よりも奇なり"というか、ちょっとオフ・ビートで、不思議な話……いましろたかしとか、ジム・ジャームッシュとか、レイモンド・カーヴァーとか……何も起こっていなのに何か変な感覚を音楽でやりたいっていうところから発想したのがその2曲で、そういう軽い感じには配信が合うんじゃないかと思ったんです。でも、社長は「配信は違うんじゃねーの」と。まぁ、<カクバリズム>は"モノ"が好きですからね。そうしたら、荒内くんが9月のワンマンのために「Yellow Magus」をつくってきて、「これはひとつにまとまりそうだね」「じゃあ、シングルで出そう」と。
――荒内くんは、髙城くんから送られてきたデモを聴いてどんな印象を持った?
荒内 「そりゃ、こうなるよな」って。「Ship Scrapper」のデモをもらった時に、ちょうど、僕も『My Lost City』でつくった船をどう処理しようか、あのアルバムをどう終わらせようか考えながら「Yellow Magus」をつくっている途中で。髙城くんは船を壊すことで、僕は船を砂漠に座礁させることで、お互いにケリをつけようとしていたというか。
――そういう意味では、どちらの曲も『My Lost City』の後日談だと。
髙城 そうですね。だから、単なるシングルっていうよりは『My Lost City』の"エピソード2"みたいな感じ。「Ship Scrapper」は、さっきも言ったように、数年前のニュースをもとにしていて。そもそもは、『海炭市叙景』(監督・熊切和嘉/原作・佐藤泰志)っていう函館の造船所を舞台にした映画が面白かったので、船がどうやってつくられるのか調べていたら、段々と造船所よりも船舶解体所の方が興味深くなってきたんですね。大型の造船を解体する場所は世界で一箇所しかないらしいんですけど、それは、バングラデシュのチッタゴンっていう地域で、満ち潮の時、船を浜辺に思いっきり突っこませてわざと座礁させて、地元の人たちがぶっ壊す。ところが、アスベストが酷くてたくさんの人が死んでいるそうなんです。でも、生活のための金が必要だから止める訳にはいかなくて。そういうニュースをたまたま見つけて、僕たちは何も考えずにただロマンだけでデカい船をつくってしまったものの、現実にはそれにも終わりがあって、ロマンではなくリアルなものとして後始末を引き受けている人々がいるんだ……と感慨深くなったのが最初の取っ掛かりですね。
――髙城くんは『My Lost City』を出した際のインタヴューでも、村上春樹の「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities」(2002年、村上春樹『海辺のカフカ』より)という文章を引用しながら、『WORLD RECORD』で世界の終わりを夢想してしまった自分たちの想像力に対して責任を取ったのだと語っていたけれど、その『My Lost City』に関しても責任を取ろうと思ったんだね。
髙城 それもありますし、単純に、僕が自分自身の楽曲だったり、あらぴー(荒内)の楽曲だったりから着想を得て次のものをつくるのを得意としているのもあるでしょうし。『WORLD RECORD』の時もそういう手法を使っていたけど、まだ、平面的な地図みたいなものだったというか、色んなところで起きた出来事をまとめたのがあのアルバムだったとしたら、『My Lost City』ではそこに時系列が生まれたというか、物語が進み出した。『Yellow Magus』はその続きですね。
――『My Lost City』は夢から覚めるように終わったけど、『Yellow Magus』を聴くと、実は夢の中では物語が続いていたというか、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』みたいで面白いなと。
髙城 最近、『My Lost City』と『Yellow Magus』を続けて聴いてみたんですけど、お話としては「わたしのすがた」を挟まないで、「さん!」から「Yellow Magus」に繋いだ方が流れが自然だなって。やっぱり、「わたしのすがた」は俯瞰している別の視点であって。
――橋本くんは2人の楽曲が出来ていく過程をどんな風に見ていたの?
橋本 そうですね……音楽性に関して言うと、新しさを感じたのは「Yellow Magus」で、「我が名はスカラベ」と「Ship Scrapper」は、『My Lost City』の「船上パーティ」を押し進めたものかなぁと。
――ミックスに関してはどうですか?
橋本 今回は皆でって感じですね。いつもは自宅でやってるんですけど、「Yellow Magus」のような低音が出ている曲はスタジオでやらないとよく分からないので、2人の意見を聞きつつ、得さん(エンジニアの得能直也)がそういう音楽に詳しいのでアドバイスをもらいつつ。
――ちなみに、髙城くんと荒内くんがつくるデモは、その段階で既にアレンジが固まっている?
荒内  「8points」はかなり古い曲で、デモはつくらなかったんですけど、他の三曲に関してはデモの段階から完成に近い状態でしたね。
――最初から頭の中でサウンドが鳴っていて、それを、レコーディングで肉体化していくような感じかな。
髙城 今回は、やっぱり、義朗さんとみっちゃんっていう専門職的なプレイヤーの2人が凄く有能というか、そのデモを聴いて理解してくれるのが早かったし、レコーディングもスムースでしたね。
――今回のEPは、まさに、厚海さんと光永さんのブラック・ミュージック的というかタイトでミニマルなドラム&ベースが要になっている訳だけど、ライヴの編成を変えて、言わばceroをリニューアルするまでに至った経緯はどのようなものだったんでしょうか。
荒内 遡ると、発端になったのは、2012年末の<とんちまつり>(ceroとも関係の深いレーベル<とんちれこーど>のイベント。様々なミュージシャンがこの日だけの編成でライヴを行った)かな。ceroは、あだカル(あだち麗三郎クワルテッット=あだち麗三郎+荒内佑+厚海義朗+光永渉)との混合で、今のライヴの編成に近い感じでしたから。もともと、そのアイデアを出したのはVIDEO(TAPEMUSIC)君なんですけどね。僕があだカルでやる時に、義朗さんとみっちゃんと話していて楽しいのは、彼らがブラック・ミュージックに詳しくて、リズムの解像度が凄く高いからなんですよ。「譜面に起こすとこのリズムはこうなってるんだよ」って解説してくれたり、黒人の独特なノリっていうのは、実は感覚だけじゃなくて、もっと論理的に追求出来ると教えてくれた。それを聞いているうちに、段々と、僕もブラック・ミュージックが面白くなってきて。しかも、時を同じくして、髙城くんも傾倒し始めて。
――最近、高城くんはDJをよくやっているけど、選曲が段々とダンス・ミュージック寄りになっていっているもんね。
髙城 今年に入ってからはそういう感じでしたね。
荒内 それで、『My Lost City』のツアーが終わった辺りから、「あのリズム隊とやったら面白いものができるんじゃないか」っていう
ことになったわけです。
――具体的には、どんなブラック・ミュージックを聴いていたの?
荒内 僕はホセ・ジェイムズとか……。
髙城 ああいう、ひとつの楽曲の中に異なるノリのドラムが入っている感じには影響を受けましたね。あとは、ビラル、ロバート・グラスパー、もちろん、ディアンジェロも。プリンスも好きですけど、積極的に聴いていたのはヒップホップ以降のソウル、R&Bですね。
――サンプリングの感覚を通過した生演奏というか。
髙城 そうそう、クエストラヴとか。打ち込みでも、プログレッシヴなヒップホップ……アメリカだったらジェイ・ディラとか、日本だったらS.L.A.C.K.とかBUDAMUNKを聴いていて。そういう音楽性をどうにかしてceroに導入出来ないだろうかというのが、今のいちばんの関心事ですね。
――『My Lost City』の後、荒内くんは「わたしのすがた」みたいなサンプリングを使った曲をこれからもやっていきたいというようなことを言っていたと思うんだけど、あくまで、それを生音で鳴らすことに興味があった?
荒内 ceroだったらサンプラーっていう選択肢もアリなんですけど、いちばん関心がある音楽が、ロバート・グラスパー・エクスペリメントのような、ちょっと捩れたリズム……それこそジェイ・ディラとかがサンプラーでやってたノリを人力で演奏する、人間と機械の弁証法みたいなことなので。第一、サンプラーの使い方は既にヒップホップのひとたちが突き詰めているし、自分たちがやるべきなのは、やっぱり、生だろうと。
――『Yellow Magus』のドラムは打ち込みも混ざっているようだけど。
髙城 そうですね。生で叩いてもらったやつにサンプリングしたスネアやクラップを貼ったり、ポスト・プロダクションもかなりやっています。ただ、やっぱり、基本になっているのはみっちゃんのグルーヴ。
――ceroの新しい方向性を探る上で必要だったのは、高城くんのベースやあだちくんのドラムではなかったと。
髙城 もともと、僕はベースのプレイヤーではなかったんですけど、「皆で出来ることを持ち寄ったら面白いじゃん」みたいなノリでこれまでのceroはやっていたわけです。あるいは、はっぴいえんどみたいな音楽をUS・インディの方法論で鳴らそうっていうのが『WORLD RECORD』の頃のテーマだった。でも、それでは、いま自分たちが関心を持っている音楽には合わない……特に僕のベースヴォーカルでは難しいぞ、と。そして、僕のベースとあだちくんのドラムは凄く合致していたんで、僕がベースを止めるとなると、あだちくんがドラマーである必然性もなくなってくる。じゃあ、さっき、あらぴーが言ったようにあだカルのリズム隊を招き入れて、あだちくんにはより自由なポジションに付いてもらったら面白いんじゃないかっていう、結構、貪欲な感じでシフトが起きたんです。
――あだちくんの新しいアルバム『6月のパルティータ』を聴いていたら、不思議な感じがしたんだよね。『Yellow Magus』の並行世界というか、『My Lost City』の音楽性を引き継いでいるのは、むしろ、あっちだという気がして。
髙城 ああ、それはありますね。あのアルバムとか、あだカルにおける義朗さんとみっちゃんの働きはジャズ的というか、それもまたブラック・ミュージックなんですけど、『Yellow Magus』とは違っていて、でも、繋がっている。
――彼等は、藤井洋平&The VERY Sensitive Citizens of TOKYOのリズム隊でもあるよね。アルバム『Banana Games』も素晴らしかった。
髙城 これから、どんどん、世に出ていくんじゃないですか? 僕は、義朗さんやみっちゃん、あだちくん、シラちゃん(MC.sirafu)、ばくちゃん(古川麦/表現)……そして、ceroだったりが、今後、ティン・パン・アレー的なユニオンになっていくんじゃないかと思っているんです。もちろん、今までもそうだったんですけど、これからよりそうなっていくんじゃないかっていう予感がある。そうだとしたら、いよいよ、ceroがバンドである意味もなくなるし、そのことにワクワクする。
――昨日、YOUR SONG IS GOODのライヴ(12月8日、<リキッドルーム>。VIDEOTAPEMUSICがオープニング・アクトを務め、そこに荒内もキーボーディストとして参加)が始まる前にお酒を買っていたら、後ろに並んでいた女の子2人が「ceroって何人組なんだろう?」っていう話しをしてたんだよ。「写真では3人なんだけど、ライヴではもっといっぱいいたりするんだよね」って。確かに、ceroはいわゆるロック・バンドのフォーマットからは逸脱してきているよね。
荒内 『My Lost City』をいま改めて聴き直すと、ceroプラスあだちくん、sirafuさんっていう5人編成のバンドだなって思うんです。あくまで、ceroの3人はメンバーで、あとの2人はサポートっていう立場なんですけど、5人でアルバムをつくったっていう感覚があって。でも、『Yellow Magus』に関して言うと、ceroがもっと独立して、コンダクター的な立場になっている。
――指揮者というか、ceroが好むメタファーで言うところの、"旅"における添乗員ってことだね。
荒内 そうそう。よりプレイヤーとしてのエゴがなくなった。音源至上主義というか、「オレのギターソロを聴け!」みたいな感じじゃなくて、イメージした音のために、どういう人を呼んで、どういう音にするかを考えているというか。『Yellow Magus』は、『My Lost City』のバンド的な、肉体的な発想より、一度、ヘッド・ミュージック的な発想を経由してから肉体性を獲得していると言えるんじゃないかな。

 

〜後編〜

 『Yellow Magus』の"Magus"なる、多くのひとが聞き馴れていないだろう単語は"魔術師"を意味し、複数形の"Magi"になると、イエス・キリストの誕生の際、はるばる、東の彼方より贈り物を持ってやって来た3人の占星術師のことも指す。ceroは、そのいわゆる"東方の3博士"を日本人="Yellow"に置き換え、自分たちを聖書の登場人物になぞらえたわけだが、"Magi"は "Magic"の語源でもあり、要するに、"Yellow Magus"は、例えばマイルス・デイヴィスが白人社会へのカウンターを"Dark Magus"と名付けたのにさらに抗するかのごとく細野晴臣が第三の道として生み出したコンセプト、"Yellow Magic"の新解釈だと言えるかもしれない。このインタヴューが、メンバーの髙城晶平が母親と阿佐ヶ谷で営むカフェ/バー<Roji>で行われたことに象徴されるように、現代日本という不安定な社会で地に足を付けた活動を続けているceroは、しかし、音楽という魔術でもって高く跳ぶのだ。果たして、そこから見える景色はどんなものなのだろうか。

 

 

 

――『Yellow Magus』は素晴らしいんだけど、何についての歌なのか分かりにくくなったとも思うんだよね。もちろん、先程、"『My Lost City』が意図した通りには受け止められなかったという思いもある"って話をしたように、ceroは、これまでも、いわゆるラヴ・ソングだったりメッセージ・ソングをつくってきたわけではないものの、今作の"砂漠"や"船舶解体所"といったメタファーはより抽象的になっている。
荒内 そうかもしれません。ただ、「Yellow Magus」の"砂漠"に関しては、さっきも言ったように、『My Lost City』でつくった船をどうするかって考えているうちに、砂漠に座礁させるというアイデアが思い浮かんだわけです。そして、それを、ceroの今後に重ね合わせた時、砂漠って何もないようでいて、いろんなことが出来る自由なフィールドとしても捉えられるなと。
――なるほど。フロンティアとして。
荒内 そうそう。そして、今までの"海"は、物語の舞台として扱いやすいところだったと思うんですよ。一方、"砂漠"は……。
――海が多くの文学を生んできたのに対して、砂漠は未だに非文学的な場所としてあり続けているよね。もちろん、それは西洋を経由した視点ではあるけれど。あるいは、砂漠がない日本でも、安部公房の『砂の女』のような名作が生まれている。
髙城  「砂の味を知らなければ希望の味も分かるまい」、だ。
荒内 あれは砂漠を閉塞的な現代社会のメタファーとして扱っていると思うんですけど、そういう場所で何か新しいことを始めるには魔術的にならざるを得ない。「Yellow Magus」の"Magus"は"Magic"の語源で、ceroがブラック・ミュージック的なアプローチを試みることにしても、僕たちはもともとそういった出自ではないし、素養もないから、やっぱり、魔術の力を借りるしかないなと。
――魔術か。砂漠と言えば蜃気楼をイメージするしね。
髙城 僕の考えとしては、神話的想像力って人間の根本的なイマジネーションを凝縮したものだと思うんですよ。そして、どの神話を読んでみても、神の世から人の世へシフトしていく物語なんですね。例えば『旧約聖書』もそうで、神が世界をつくったあと、洪水があったりバベルの塔の崩壊があったりして、生き残った人々が、『出エジプト記』みたいに砂漠に出て、新しい土地を探しにいく。また、そこから、戦争が始まって、政治の話になっていく。そういったものを読んでいると、自分たちのつくる楽曲も、自然と神話をなぞっているんだなと思いました。
――2曲目の「我が名はスカラベ」の"スカラベ=フンコロガシ"も砂漠にいる生き物で、神として扱われているけど……。
髙城 順番としては、僕がまず「ship scrapper」をつくって、それについてやり取りをしたあとであらぴーが「Yellow Magus」をつくり始めたので、両者で"船"っていうテーマが被ったのは必然なんですけど、「スカラベ」と「Yellow Magus」は同時期につくっていたので、両者で"砂漠"っていうテーマが被ったのは全くの偶然で、面白かったですね。ちなみに、「スカラベ」は、フンコロガシが糞を真っ直ぐ転がせるのは、天の川を目印にしているからだという研究成果が発表されました、みたいなニュースからインスパイアされたんです。プラネタリウムにフンコロガシと糞を置いてみたら、糞の上に登って空を仰いでダンスをして、位置を決めて、そこに向かって転がしていくらしくて、凄いロマンチックだなと。そもそも、エジプトのピラミッドの壁画に描かれていたスカラベは占星術の神様として崇められていたそうなんで、昔のひとが検証せずとも分かっていたところにも魔術的なものを感じて。
――それにしても、砂漠の話を聞いていて思ったのが、テーマに関して言えば、もはや、ceroは都市の音楽っていう感じではなくなったよね。もちろん、本人たちは都市に暮らしていて、その生活からインスパイアされているわけだけど。
荒内 昨日、ふと思ったのは、船が航海に出て帰ってきたら街が砂漠になっていた、みたいな。
髙城 あぁ、『猿の惑星』的な!
荒内 VIDEO(TAPEMUSIC)くんがつくってくれたMVの素材のひとつに、船が砂漠に突っ込んで、後ろが星空みたいになっている映像があるんですけど、それが、『猿の惑星』の最後の自由の女神っていう感じがして。もしかしたら、この砂漠の下には都市が埋まっているのかも……『WORLD RECORD』でつくった街を『My Lost City』で海の底に沈めて、その上にさらに砂を……みたいに考えるとヤバいなと。やな(柳)が描いたジャケットにしても、砂漠の絵にも見えるし、海の絵にも見える。
髙城 二重化してるよね。
――『Yellow Magus』は、やっぱり、色々な意味でceroにとってのターニング・ポイントなんだね。
髙城 あと、これは誰かに指摘されて、確かにそうだなって思ったのが、今回のシングルからは1人称がなくなって、従来の私小説みたいな表現から抜け出し、カメラに徹しているようなところがあると。僕の、ニュースを元に歌詞を書くっていうつくり方もルポみたいですし。
――そもそも、どうやってその手法を思いついたの?
髙城 最初は単に素材が必要だったっていうか、「ship scrapper」をつくるときに船に関するワードの蓄えが欲しいなと思って、ネットで調べているうちに、さっき言った、チッタゴンの船舶解体所のニュースに当ったんです。そこで、現実世界には、『My Lost City』でつくったようなパラレル・ワールド的な世界にフィードバックさせられるエピソードがいっぱい転がっていることに気付いて、その作業にハマってしまった。
――『My Lost City』はファンタジーでありながらも社会の映し鏡であったと思うし、逆に、髙城くんは官邸前デモに20万のひとが集まったときのことをまるで神話の世界に生きているような感じがしたと振り返っていたよね。あのアルバムでは、そういった3.11以降の現実と非現実とがないまぜになった感覚が見事に表現されていたけど、『Yellow Magus』のテーマはより抽象的なので、ストレートに、"これはわたしたちの物語だ"とは受け止められない。そこに現実との接点があるとしたら、遠く離れた場所のニュースを検索する自分自身ということ?
髙城 そうですね。ただ、チッタゴンの船舶解体所について調べているときにドキッとしたのが……ひとがたくさん死んでいる悲しい話ではあるんですけど、遠浅に大型船を座礁させて解体しているっていう光景に絵として凄くロマンチックなものを感じて、画像検索しまくって、うわぁ、凄いとか思っていたら、そこに送られてくるものの8割が日本船だと知って、急に自分と繋がってしまった。そう考えると、世界中のどんな話だって自分と無関係ではないですからね。
――そういえば、「ship scrapper」の次の楽曲で、シングルの最後の楽曲「8points」のイントロはフィールド・レコーディングだけど……。
荒内 あれは、僕が<スターズ・オン>の打ち上げを抜け出して、外で録った音なんです。意図としては、「8points」だけ曲としてちょっと古くて、若干浮いていたんで……というのは、他の曲がカメラアイであるのに対して、これだけ、立ち位置が不確定だったので、カメラアイとの連続性を環境音で表現出来たらなと。よく聴くと、遠くで「カンパーイ!」って騒いでる声が聴こえると思うんですけど、「ship scrapper」の宴会から抜け出したひとが砂浜を歩いて行って、見上げると星空があって……みたいな。
髙城 僕としては、あの足音を、「ship scrapper」に出てくるナイフを拾った造船所の青年の足音だと勝手にイメージしていたら、あれを聴いた片想いのオラリーが「こわーい、誰かが見てたんだ!」と言ったんです。造船所の最後の夜の盛り上がりを誰かが覗き見ていて、何も言わずに去って行ったんだと。あぁ、なるほどなと思いましたね。
――物語に没入していたら、急に引きの絵になるみたいな。
髙城 それまでカメラを持っていたひとの足音っていうか、『Yellow Magus』の主体がどこにあるかっていったら、唯一、その足音にあるっていうか……いやぁ、恐い恐い(笑)。
――最近、ceroの他にも、「カゲロウプロジェクト」とかSound Horizonとか、音楽で物語をつくるひとがまた増えているようにも思うんだけど、ceroは『My Lost City』の「わたしのすがた」然り、物語を熱心につくりあげる一方で、その虚構性を意識させる仕掛けを忍び込ませるよね。
髙城 今回に関しては、普通、シングルって言ったら"A面/B面"程度の構成にしかつくれないのに、その狭い枠の中でああいったことができたのはひとつの成果かもしれない。
――ただ、虚構性を自覚させるということは感情移入をさせないということでもあって、そうやって、いわゆる泣ける曲だとか共感出来る曲みたいなものからどんどん遠ざかっていくことに対する、それこそ、砂漠に踏み出していくような不安感はないの?
荒内 今回、僕の歌詞に1人称がないのは意識的にやったことで、それは、震災以降にインディのミュージシャンたちが急に政治に興味を持ち始める中で、ceroも含めて歌詞で使いがちな"わたしたち"は、果たして誰のことを指すんだろうと疑問を持ったからなんですね。誰が自民党に投票するんだろうとか、誰が右に寄っていくんだろうとか、政治に関心が湧いた分、今までそこまで気にしていなかったマジョリティと自分との考えの違いがどんどん浮き彫りになってきた。一方、周りの友達はデモにもよく行くしリベラルな人が多いけれど、じゃあ、周囲の限られた人たちだけを"わたしたち"と言っていいのかも分からない。そういう状況においては、感情移入出来る開かれた物語よりも、主体性のない閉じた物語の方を提示することに意味があるんじゃないかと考えたんです。もしくは現実との接点でいうと、今回は言葉よりも地に足の着いたビートにあるのかもしれない。
――なるほどね。髙城くんは当初、「配信でシリーズ化したらどうかな」と考えていたと言っていたけど、このあともシングルの形式で何枚か出そうと考えていたりする?
髙城 まだ具体的なことは話してませんけど、やりたいことはいっぱいありますし、楽曲のメモも既に溜まっていて、アルバムぐらいのヴォリュームはすぐにつくれちゃいそうな。ただ、それが今回のように物語としてのコンセプトを持つのかどうかはやってみないと分からない。あるいは、もっと、音の方にコンセプトが寄るものになるような気もしていて。
――それは、今回、試みたブラック・ミュージック的なアプローチを押し進めるということ?
髙城 そうですね。アイデアはたくさんあって……でも、ブラック・ミュージックに影響を受けたサウンドに、こういった物語が乗るようなものも他にあまりないでしょうし、そこが僕たちのオリジナリティかなとも思っています。やっぱり、R&Bの歌詞にしても、多くは恋愛だったりセックスだったりをテーマにしているじゃないですか。
――藤井洋平なんかはそれを彼独自のやり方で表現する才能を持っていると思うけどね。
髙城 そうそう。彼は「お前のあそこを俺のものにしたい」みたいなフレーズをギャグではなく真に迫る感じで歌えるキャラクターで、それが、藤井洋平のヴォーカリストとして優れているところだし、僕らが憧れているところでもあるんですけど、ceroにそれ出来るかっていったら出来ないし、じゃあ、僕らがやれることは何かって言ったら、やっぱり、『Yellow Magus』みたいなものなんじゃないかなって。
――……橋本くんはどうですか? さっきから黙ってるけど。
橋本 えっ、取れ高ないすか?(笑)
――もう少しもらいましょうか。例えば、橋本くんはジオラマシーンではソングライターをやっているわけだけど、ceroではそこまで楽曲をつくるつもりはない?
橋本 そうですねぇ……つくれる気がしない……。
一同 (笑)
――それは、ceroっていう枠には自分の楽曲がハマらないような気がすると?
橋本 それもありますし、バンドとして曲が足りないならつくりますけど、さっきも、「アルバムぐらいのヴォリュームはすぐにつくれちゃいそう」と言っていたので、足りてるかなと(笑)。
髙城 そのアルバムにはしもっちゃんの曲も入れてよ!
荒内 でも、曲をつくっている段階で、僕と髙城くんとでコンセンサスが取れたとしても、はしもっちゃんに投げた時に「違う」ってなったら、その曲はceroとしては出せないなとは考えているよ。
橋本 じゃあ、ある程度距離を置かせてもらって、フィルターとして機能してるのかな。
髙城 だって、ミックスもはしもっちゃんがやっているわけで、やっぱり、ceroの音源の最終的なアウトプットははしもっちゃんなんだよね。確かに、ブラック・ミュージックに関してはド・ストライクなゾーンではないだろうけど、その距離感こそが重要だったりもするし。
橋本 杞憂なのかもしれないですけど、こういうふうに、『My Lost City』から大胆に変わっていくことを、今までのファンはどう感じるんだろうとも思っていて。もちろん、それを乗り越えていく柔軟なひとがいる一方で、「やっぱり、前の方が好きだなぁ」と思うひともいるだろうし、僕もそういう感覚は少しあるので、その中間の立場に居たいなと。ブラック・ミュージックの気持ち良さもようやく分かってきたところなので。僕はいつもみんなよりひとつ遅れて好きになるんですよ。
荒内 でもさぁ、ceroの何がceroらしいかと言ったらはしもっちゃんかなって……。
一同 (笑)
――気を使ってるなぁ。
荒内 いや、仮にね、今回、はしもっちゃんがいなかったとして、もっとデコボコなものは出来たと思うんだけど、はしもっちゃんっていうフィルターを通したことでまとまりが生まれたのかなって。
髙城 ビートルズはジョージのバンドだった説(笑)。
――でも、さっき、今回のミックスはいつもと違ったというようなことを言っていたけど、橋本くんとしても試行錯誤があったんじゃない?
橋本 そうですね。今まで僕が得意としてきた、音を詰め込むやり方とは真逆の、最小限の音数で構成をするのは不安ではありました。ただ、段々とダンス・ミュージックの低音の役割が分かってきましたし、クラブ・シーンなんかにはそういったものを楽しんでいるひとがたくさんいることを知って、だったら、アリだなと。さらに、そこにこれまでのceroの余韻を残せたらバランスがいいかな。まぁ、少しづつシフトしていけたらと思います。
髙城 そういう意味では、『Yellow Magus』は凄くいい実験になったし、勉強にもなった。変化を、急激なものではなく、スムースなものにできたんじゃないかな。
――それにしても、今回の歌詞は髙城くんも荒内くんも複雑で、よくもまぁ、こんなにスムースにメロディに乗せられるなぁと。これって、詞先なの? 曲先なの?
髙城 ほぼ同時ですけど、やっぱり、アイデアとしては先にメロディだったりベース・ラインだったりがあって、それにハマるニュースを見つけたら、まずは文章にして、次にリズムを与えることでブラッシュアップしていく。その際に、曲の中に必ず入れ込みたいこと……「ship scrapper」だったら、船舶解体作業の説明と、『My Lost City』の「船上パーティ」に出てきたナイフを作業員の青年が拾うことで物語に関係性をもたせるっていうことを削ってはいけない注意事項として決めて、進めていきました。言ってみればとても事務的で、もしくは、パズル・ゲームみたいな感じ。
荒内 僕の場合は、髙城くんほど上手く言葉を組み合わせられないので、韻を踏みますね。そうした方が発想が柔軟になって、どんどん、言葉が出てくるので。「Yellow Magus」は、自分にしては珍しく歌詞が余ったっていうか、いつも、楽曲に対して歌詞が足りないんですけど、今回は歌詞を削ったんですよ。もともと、デモでは8分ぐらいあったので、それではちょっと長過ぎるかなと。
髙城 その作業は一緒にやったよね。
――ceroには、組曲みたいな長尺の楽曲も合いそうだけど。
髙城 そういうものをつくろうという話もありました。
荒内 最初は、「Yellow Magus」を、スフィアン・スティーヴンスの『ジ・エイジ・オブ・アッズ』に入っている「インポッシヴル・ソウル」(25分以上ある楽曲)のようにしたら面白いんじゃないかと思って。フィッシュマンズの「ロング・シーズン」みたいに時間感覚が膨張したり収縮するのではなくて、物語が直線的にあって、それに沿って楽曲が展開していくという。
髙城 僕は"オフ・ビーツ"っていう短編集のシリーズものを構想していて、あらぴーはいま言ったように長尺のシングルもアリなんじゃないかと言っていて。最初の段階ではそういう感じでしたね。
――結果、ループする非物語的な構造のトラックの上で、物語が展開する不思議なつくりになったよね。
髙城 "Yellow Magus"=イエロー・マジックって銘打ってますからね。やっぱり、ブラック・ミュージックを日本人としてどう解釈するかということを考えたらこうなったのかなと。
――卑近な例えをすれば、ceroがティン・パン・アレーからYMOへと進化したとも捉えられる。
髙城 細野(晴臣)さんがYMOを始めたのは、エキゾ三部作をつくって、だけど、あまり売れなくて、どうしたらこういう音楽性が大衆化するんだろうって悩んでいたとき、オリジナル・サヴァンナ・バンドがグラミー賞を取ったのを見て、「これだ!」と、ディスコっていう容れ物さえあれば中身がどんなにアヴァンギャルドなものでも受け入れられると思ったからだっていう。まぁ、細野さん特有のユーモアですけど、無理矢理、こじつければ、僕らはそれをR&Bでやろうとしているのかなって。日本におけるR&Bってオーヴァー・グラウンドしかないじゃないですか。久保田利伸とか宇多田ヒカルとかEXILEとか……オーヴァーとアンダーを行き来出来るのは岡村靖幸ぐらい。
――藤井洋平がいるじゃない(笑)。
髙城 そうだった(笑)。藤井くんは岡村靖幸の正統な後継者ですよね。でも、他に、日本におけるR&Bのオルタナティヴなあり方が見当たらない。それに対して、ceroがどうアプローチ出来るのかっていうことには興味があります。
――まぁ、アンダーグラウンドな活動をしているR&Bの歌い手や、リズム・アンド・ブルースのバンドもたくさんいると思うんだけど、欧米のインディ・R&Bとか、チル&Bみたいに言われるようなオルタナティヴなアプローチは少ないよね。
荒内 そうそう、日本ではR&Bを聴いてきたひとと、チル・ウェイヴを聴いているひとの間に歴史的な継続性がないから、ライだったり、インクだったりが出てこない。
――フランク・オーシャンとかね。ブラッド・オレンジもいいよ。ビヨンセの妹のソランジェをプロデュースしている。
荒内 そういう風に、世界的には新しい潮流が起こっているじゃないですか。勿論、大前提としてどんな文脈で受け取ってもらっても構わないですが、「Yellow Magus」の感想をエゴ・サーチすると、「SMAPみたい、久保田利伸みたい」とか、語彙が90年代のオーヴァー・グラウンドな所で止まっているな、とは思います。
――あるいは、「小沢健二の『Eclectic』みたい」だとか。
荒内 いや、あれはまさに、日本のR&Bの歴史における"点"なんですよ。オザケンも『LIFE』で70年代のソウルから影響を受けたりしていたけど、『Eclectic』で、突然、現代的なR&Bに傾倒して、ただ、何処か歪で、その予兆もなかったし、後継者もいないという。
橋本 そのあと、『毎日の環境学』ってインストのアルバムを出していて、あれはその延長にあったような気もするけど、最近のライヴはまた全然違うよね。
髙城 だから、『Yellow Magus』以降のceroは、オザケンの『Eclectic』っていうワン・ジャンルを目指すのかもしれない。僕も、この間、『Eclectic』と『毎日の環境学』を聴き直していたんですけど、ブラック・ミュージックなのに凄く透明感があるし、音づくりもオリジナルで。木琴が入ってたりとか、バンジョーが入ってたりとか、特異な、イエローな感じ。歌詞からも徹底的に英語を排除しているしね。向こうのコーラスのひとたちにすら日本語で歌わせてるじゃないですか。やっぱり、日本人としてR&Bをつくるっていうことにかなり意識的だったのかなって。
――じゃあ、『Yellow Magus』で過酷な砂漠に踏み出したわけだけど、YMOだったり、『Eclectic』だったり、所々に存在するオアシスを頼りにしながら進んで行くという感じかな。
髙城 日本人のデメリットかつメリットは、どの音楽からも遠いこと。ルーツみたいなものはあまりないけど、縛られるものがないということでもある。いま上がった先人たちに習って、その状況を上手く自分たちの音楽に還元していきたいですね。

 
INSTORE EVENT INFO

インストア・サイン会を下記の店舗で開催します。

■12月18日 at タワーレコード新宿店 終了いたしました
開始時間:19時~ / 場所:7階インストアイベントスペース
タワーレコード新宿店・渋谷店にて12/18発売(12/17入荷)cero「Yellow Magus」(DDCK-1035)を
お買い上げ頂いた方に(予約者優先)、先着順でイベント参加券を差し上げます。
※タワレコ渋谷店でお買い上げのお客様にもお渡ししております。

■12月20日 at タワーレコード仙台パルコ店 終了いたしました
時間:19時30分~ / 場所:タワーレコード仙台パルコ店イベントスペースにて
タワーレコード仙台パルコ店にて 12/18 発売(12/17 入荷)『Yellow Magus』(DDCK-1035)を
お買い上げいただいた方に(予約者優先)、イベント参加券を1枚差し上げます。
イベント参加券をお持ちの方は、サイン会にご参加いただけます。

■12月26日 at タワーレコード梅田NU茶屋店 終了いたしました
時間:19時30分~ / 場所;タワーレコード梅田NU茶屋店イベントスペース
参加方法:ご予約者優先でタワーレコード梅田NU茶屋町店、梅田大阪マルビル店、難波店、神戸店、京都店にて、
12月18日(水)発売(12月17日(火)入荷商品)の「Yellow Magus」(DDCK-1035)を
お買い上げの方に先着で「イベント参加券」を配布いたします。
※マルビル店、難波店、神戸店、京都店でも整理券ついてくるので、お近くの方は是非!

■12月27日 at タワーレコード名古屋パルコ店 終了いたしました
時間:19時30分~ / 場所:タワーレコード名古屋パルコ店 店内イベントスペース
タワーレコード名古屋パルコ店、名古屋近鉄パッセ店12/18発売(12/17入荷)
cero「Yellow Magus」(DDCK-1035)をお買い上げいただいた方(予約者優先)に
先着でイベント参加券を1枚差し上げます。イベント参加券をお持ちの方は、サイン会にご参加いただけます。
※名古屋近鉄パッセ店でも先着で整理券をおつけしますので、是非お求めください!

 
cero オフィシャルサイト
カクバリズム