今回「イルリメ / 360°SOUNDS」のデザインを担当してくれる事になった河野未彩さんとの仕事は2007年「イルリメ・ア・ゴーゴー」に収録されている、元気でやってるのかい?のMV以来です。その間、様々な仕事や創作をされてきましたが、その間の変化や、彼女がこの仕事を始めるきっかけなど取材させていただきました。人のなかに歴史あり、歴史のなかに人があり。それではデザインという仕事の紆余曲折、聞かせていただきましょう。

 

河野「高校生の時、大学進学みたいなのを気づいたら周りがみんな考えてて。え~っ!みんな大学進学すんのー!?て、わたし何も考えてなかったらからびっくりして。高校は公立の進学校だったんですけど、みんなは東大とか目指してる感じの所なんです。それで理系で物作り好きだから建築って安易な感じで大学のパンフレット集めたときに東京工芸大に工学部と芸術学部があるから、芸術学部も(視野に)一緒に来たんですよ。で、そこのパンフレット見てたら受験項目が絵を描く事で「ワ~ッ、ガビーーンッ!」てなって。「絵で受験受けれんだ~っ!」て。別にそん時、絵が上手かった訳でも無いけど何かクリエイティブな事は凄く昔から好きで、美大なんて小っちゃい頃からアトリエに通って勉強している人しか出来ない、行けないのかな、って勝手に勘違いしてて。先生に相談したら「いや、今からでも間に合うわよ」って言われて、高3の夏から美大受験の為、アトリエに通いはじめるんです。それで代ゼミの夏期講習、理系のを取ってたんですけどアトリエの方に講座を無理言って書き変えて通ったんですよ。でも受講料が半期分にしかならなくて、半期は自分で独学するしかないってことになって。

あ!それでその時、1人で夏休みに高校の美術室で石膏デッサンしてたらチカンにあって(笑)夏休み、学校に石膏デッサンしに行ったんです。先に美術部の子が来てて、そこに私も描きにいって。扇風機もクーラーもつかないから結構薄着で描いてたんですよ。その美術室に何かあやしいちょっと年上くらいの子がウロウロ入ってきたりしてて、ウチの学校は私服高校で制服着てない人が学校に来てもウチの生徒かな?とか思うんですよね。でも「何かあの子あやしくない?」って美術部の子に言ったら「いや、まあ普通じゃない」て返されたんですけど、やっぱりおかしいと思ったから、私がその人に「あなたは何ですか?」って聞いたら「いや、ボク明日からこの高校に転入するからちょっと見学に来たんですよー」って。で、美術部員少ないから美術部のその子は勧誘したがってたんですけど私はちょっとあやしんでたから「カギ閉めようよ」って言っても「いや、閉めなくていいんじゃない」って言われたので開けっ放しにしてたら、その後、その美術部の子が帰っちゃって。で、私1人で描いてたら、突然その人が後ろに来てて、ここらへんで「エヘヘ~エヘヘ~っ」みたいな感じになってて、後ろ見たら、めっちゃ何か不思議な物体がなんかピストン運動してるみたいな。で、わたしは「キャ~~!!」って石膏以外の色んなものなぎ倒して(笑)教員室まで「せんせーーい!!」って走って(笑)

ー編集部 (笑)

もうカオスの入り口(笑)でも、そういう体験、自分で逃げて、逃げ切れたっていうこの生きのびた感(笑)それが今の自信になって、今もひとりでやってるっていう(笑)

それで現役合格できず、一浪して毎日デッサン、デッサン、平面構成と覚醒状態で描いて、本当に人生の中で一番楽しかったくらい絵を描いてて。

で、第一希望はグラフィックデザインだったんですけど結局大学に入ったのが、プロダクトデザインなんですよ、多摩美のグラフィック落ちて、芸大は2次で落ちて、受験の練習もしてなかったプロダクトデザイン科にピョンと入っちゃって。もうそっからの、なんだろうな、ずれてる、30人しかいないクラスの中で私はグラフィックをやりたいけど、一応、このプロダクトで1人でこう、何かを作っていくんです。でも、物のコンセプトとか、ニーズとか色んな調査とか、何が必要とか、どのくらいお金がかかるか、とかそういうのを含めた上で作ってプレゼンする勉強が出来たから今はそれが役に立ってます。

で、卒業制作はRGBのライトを作ってレッドとブルーとグリーンを混ぜると白になるじゃないですか?光は白いけど、影が6色になるっていう。何か、素敵なものを作ったんですよ。それはパーティーで遊んでいるときに気がついたもので、大学時代にパーティーで遊びまくってたんですよ。で、それが三菱のデザインアワードで茂木健一郎賞を獲って。だけどなんかその三菱が大体的にコンペをやるんだけど賞を獲ったとしても1位の人には100万円くれるんだけど、それ以外の人は特に無く、コンペ自体そこに来た審査員の人をたてる感じで。それで何か私「ん?」て思って「作ったものが一番目立たなきゃいけないんじゃないの?」と思ったんでスピーチの時、まあやんわりですけど「賞獲ったものが製品化されるとかそういうのも無くて、集まって美味しいもの食べてエヘヘだけじゃ、何にもなんないんじゃないですか?」って(笑)それはでも、まあ、感謝を含めた感じで言って。で、後から茂木健一郎さんに「ボクも若かったらああいう風に言ってたかもしれない」って。それと「そのシャツ格好良いね」って(笑)あ、違う。茂木さんにシャツ言われたんじゃ無くて、違うライターの方だ。その人は、その後も自分の活動をミクシーとかで見てくれてて、たまに仕事振って頂けたりしたんですよ。

それで就職は化粧品会社に勤めたかったんです、でも全然決まんなくて。就職できなかったんですけど、なんかまあ別に大丈夫だろうと焦ってなくて、一応、先生や先輩の紹介で、食品のパッケージや、企業のプレゼン用映像とか、そういうのをやってたんです。それ以外はパーティーで遊んだり、余ってる時間に絵も描いてブログにアップしたり。

ブログやろうと思ったのは卒業間近で、ミクシー始めたくらいにこんな作品つくってるよっていうのを人に見せようと思って2005年くらいかな?始めたんです。大学の時制作したプロダクトとか、あと分けわかんないコラージュ作ったのや、遊びに行ったパーティーの写真をアップして。写真をやるきっかけは、明確にあって。別に写真家になりたかった訳では無かったんですけど、パーティーに行く回数がやたら増えて。そのパーティーにいる時間は制作が出来なくてもどかしくて、じゃあ、こん時に制作しちゃおうと。それで何が出来るか考えたら写真を撮る事思いついたんですよ。写真撮れば、そのパーティーにとっても良いかな?楽しそうな所見て来てくれるかな?と思ったんです。パーティーにはまり始めたのは、一番初めは千葉なんですよ。その前はageHaとかに行ってたんですけど、大学3年の時にFUTURE TERRORに行ってからそっちにはまって、RAW LIFEで横浜のシーンがある事も知って、横浜のパーティーにも行くようになったんですよ。そこら辺で繋がったのが、やけのはらさんだったりデデさんで、私のブログの中に「矢印宇宙」っていう作品があって、それをデデさんが気に入ってくれて、
(デデマウスが)横浜のイベント「Hey.Mr.Melody」に出た時に「今度アルバム出すからジャケやってよ」ってなって、やりました。

でも最初にジャケットデザインしたのは、GALACTIVE LIVE MIX SHOWっていう、ジェットセットの堀さんといしかわてつやさんと油井俊二さんとやけのはらさんの4人がGALACTIVEってイベントやっててそれのミックスCDR出すことになって。ジャケ、未彩ちゃんに頼んでみよっか?ってなって、なんか女の人がこうしてる(ポーズをとる)感じのやつで、それが初めてです。

その次がBETA PANAMAかな?REBOOTING MIXっていう黄色いジャケットのMIXCDR。


その後、デデさん。

で、デデさんのリリパの時、VJをやるんですよ。私が大学の時に映像事務所でバイトしてたのもあってVJがちょっと出来るって事なので。ジャケの絵をVJで使うっていうのが私のちょっとした夢だったんですよ。1曲づつ、素材を決めてやる、この曲にはこの素材のって。それをやったら、好評いただいて、
その映像まとめてMVにして、みたいな感じで、映像も徐々に始めたんです。


で、その後、イルさんのもやらせていただいたりしました。

ー編 「そういう仕事をひとつづつやっていって感想と言うか・・・」

感想・・・例えば音楽のジャケなら音源をもらって、洗脳されるまで聴いた後に自分で、
例えば会話みたいなもんでレスポンスする気分なんですよね、それを続けてきた、みたいな感じで。

ー編 「やっぱりそうして作ったものに反応もらった時は嬉しかったですか?」

めちゃ嬉しいですね。徐々に名前を覚えて頂く様にもなれたし。

ー編 「自分が、人に知られていく実感というのは徐々に分かってきました?」

ネットの時代だから、ネットで反応あったりとか。後、パーティーで直接「あれ良かったよ」とかあったり。後は自分内評価みたいな、これはやったなとか。デデマウスは結構皆知ってたり、後、イルさんのMVも結構反応いただいたり。でも結構バラバラの反応もらえて、写真がいいねとか、あの作品がいいねって言う人もいれば、この文が良いねって人もいたり。何か自分の中では、自分が出せるカードみたいなのを配ってるイメージだったんですね、デザインを始めてからの2年間。こんなんもあるよ、こんなんもあるよって。で、こんなカード出すとそのカードの感じをやってくださいって言われて片寄っちゃうから、こっちのカードもあるよっていうのを、さっきパソコンで見てもらった化粧品の絵じゃないですけど


クライアントワークじゃない、自主制作でこんなんもあるよっつうのもバラまいてて、なんか、結構みんな違うところでいいねいいね、って割とまんべんなくレスポンスもらえて。それでスタジオヴォイスっていう雑誌の見開きの仕事をやった時に、そこにHPアドレスを載せれるから、どうせならと思ってドメイン取得してHPを作ったんです。

ー編 「それくらいの時期に化粧品ぽい自主作品とかHPにアップしてなかったっけ?」

デデさんでああいう可愛いポップな宇宙のイメージがついたのか、実際メジャーのとこからも、依頼がきたんですけど、デデマウスのジャケイメージそのまま欲しいくらいに言われていやいや、それは出来ないですーって、断って、そんで全然違うとこにカードを投げまくってたみたいな。私、そっち以外もやってみたいですよ、みたいな(笑)

ー編 「確かにイッセー尾形のDVDのデザインにパクられるとかありましたもんね」

パクられることが多くて、私3回くらいあって。でももうそういうのはいいです。そこはポジティブに捉えて、そこで闘うよりは、次のもん作ろう!みたいな感じで。行こうかなと。

ー編 「化粧品のやつやったらどうなったんですか?」

一応、シュウウエムラさんから、ブックみせてみたいな話もあったんですけど、そこからは何にも無くて。今はまだもうちょい自分がんばらなきゃな、ていう、段階ですね。でも、なんか本当にその2年間はそういう流れがすーごいスムーズだったんですよ、パソコン買って動画やりたいなと思ったらそういう依頼が来て、この人のジャケットやりたいと思ったら来て。何かミラクル続きだったんですよ。「何だったんだ!」ってくらいのミラクル続きで。

ー編 「では、ここら辺で元気でやってるのかい?のMVの話しましょか?

そうしましょう!イルさんのはストーリー重視でやってみようと思って作ったんです。歌詞を入れて欲しいというのがまず条件にあったので、自分の感じたNHK感と、合唱してる感じとか、最後にぶっこわれてく感じとかを頭の中で混ぜ合わせて出来たのがあれ。寿司が出てきた理由は「元気でやってるのかい?」って田舎の母さんとかが言いそうじゃないですか?田舎に帰ると心配してやたら豪華なメシとか出てきて。田舎の母さんが頑張りすぎて、巻き寿司いっぱい作っちゃったみたいな(笑)なんかこう、はりきっちったお母さん!みたいな(笑)3年ぶり息子帰ってくるから、みたいな。そういうそんくらい愛情がある人からの「元気でやってるのかい?」みたいな感じで最後にまき寿司パーティーで、で、しかもそれも全部トリックで男の子とかもダンボールでした!みたいな、なんか最後に全てをくつがえすっていう(笑)そんくらいの事をやってみたいなと思って、あれもう納品ぎりぎりまで見せて無くって(笑)もう文句も言えない状況で納品して、ほんとすいませんでした!(笑)

ー編 「いえいえ(笑)評判良かったですよ」

良かった~。

ー編 「その次アキラ君(エビスビーツ)ですかね?」

エビスビーツさんは元々、自分が凄く好きで、日本語ラップとかも聴いてたりしてたんで。韻踏の中でも脱退して、あの音でっていうのが、自分とシンパシーを感じていて。まあ音に普通にシンパシーを感じてたというか。あと横尾忠則さん好き、てのも共通点もあり、私がインドに行ってインド音楽が好きだった時でもあり。それでエビスビーツがめちゃめちゃ好きだったんですよ。

ー編 「どうやって知り合ったんですか?」

中野のクラブ、ヘビーシックで会ったんですけど。エビスさんが東京へ浅草のサンバ見に来てて、その流れで夜イルリメさん出てたヘビーシックにも来て、で、会った瞬間にいきなり、ボクのMV作ってくださいって。私の作品を見たことないのに「この人や!」と思ったらしくて。

ー編 「あれ?おれが紹介したんですかね?」

したと思います。何か階段の所で「これ、未彩ちゃんつって、俺のMV作ってくれた子や~」とかって感じで。イルさんのMV終わった頃だから2007年夏くらいだったと思います。

で、いきなりお願いされて、私も滅茶苦茶ファンだから「ああもう、もっちろんー!」みたいな感じで。今、アルバム作ってるからそん中のどれかの曲でって言われて。アルバムもそんなに出来てないからMVも急ぐこともないよって。そしたらエビスさんの方もアルバム出るのが伸びてて、時間が沢山あるから、ものっすっごいの作ろうと意気込みすぎて。だからその間に私(エビスビーツのMVを)2作くらい作ってたんですよ、実は。アルバムの中の曲でサンプリング承諾に時間かかっていた曲もあったみたいだし、リリースまでMV制作の時間が結構あったんです。

始めは道草(エビスビーツの曲タイトル)で作ろうってなって、井の頭公園でエビスさんが歩いてる所を撮影したり素材を溜めたんだけど私に全く力が無くて。かといって見慣れた様なものを作りたく無くて自分に力が無いのに凄い壮大な事を思い描いちゃって「出来ない出来ない」ってあがいて。完全に空回りして最終的に出来上がったアニメーションを大阪に見せに行って、それがむっちゃくちゃアシッディーな(笑)何かエビスビーツじゃないみたいな。それもまあ完成手前だったから、とりあえず見てもらおうとおもって、見せたら、「えっ?、は?、えっ?、え!?、何やこれ~~!?」みたいな感じなっちゃって。「これはこれで分からなすぎて凄いんだけど、何かちゃうねんな~」みたいな。で、そん時に私が結局出来上がったMVあるじゃないですか?女の人の。あの女の人の絵を描いた直後で「そういえば最近こんな絵を描いたんですよー」って見せたら、「わ~!これめっちゃ美人やわ~!って絶世の美女やわ、これでええんちゃう?」ってなって、これだったら、じゃあ、JUST A MOMENTの曲にいっそ変えちゃって、それをこう、アイデアばって閃いて。左右対称にして、口だけたまに動くとか、髪の毛を動かすとか、やりましょうって言ったら、それや~!ってなって、一週間ぐらいで作ったんです。
 

ー編 「二階堂さんのミニアルバム、あれの制作時期もエビスビーツさんと出合った時くらい夏ですよね?」

夏でしたね、二階堂さんのはなかなか決まらず3作くらい作りなおしさせて頂いて、カオスパーク行けなくて布団でこう(泣き真似をする)泣きながら(笑)それとデデさんのeast end girlですね、女の子の横顔のデザイン。




デデさんの1stをデザインさせてもらった時、自分の持ってるポップでさわやかなところが出たなと思ったんですよ。2枚目のミニアルバムは私の中では、もうちょっと違うジャケをイメージしてたんです、本来の自分はどっちかっていうと違う方向なんで切り札出してった故のあれで。それで自分の中では可愛いものとかアニメ的なニュアンスが無いと思い込んでいたんで、もうちょっと破壊的なものをイメージしてて。でもデデさんが女の子の横顔でって。その時、デデさんはこれを出すことによって、クラブシーンよりももうちょっとポップ界に目をむけているのかな?と思って、私は全然自分がそこ意見する立場じゃないけど「ああ、デデさんそっちいっちゃうの!」っていうファン心理があって、そこの葛藤だったんですよね、勝手に自分で。元々ぶっ飛んでるのが好きだから、やんわりしてるのとか自分には向いてないって思ってて、

で、それもなんか(泣き真似をしながら)「もう、女の子の横顔なんて描けないよ~!」って(笑)そう言いながらもがいてたら、夜中にふっと目が覚めて暗い部屋の中黒い紙を下書きなしで切り絵師の如く切り出して。できました。そこでころっと横顔が気に入ったので(笑)、色で飛ぶ感じを出せばいい感じかなと。で、イルさんがカフェヴァンダかなんかで会った時に、「デデマウスの次のジャケットめっちゃ良かったでー」って言ってくれて、あ、良かったんだ、って。

ー編 「言いましたね(笑)で、その2作は泣きながら作ったと」

でもあの2作は結構、生みの苦しみを味わいつつも、デザインやっていく上で相手の意見を汲み取って考える経験が出来て凄い良かったですね。それは、もうほんと、本当にありがとうございました、って思います。

ー編 「それでそれらの違うベクトル、方向としてバットヘッドサングラスのMVですかね?」

そうですね。そっから現在の堂本剛さんの仕事させてもらった話になるんですけど。エンドリケリーは実はあのデデさんのジャケをREMIXした曼荼羅みたいな絵が自分のHPでダウンロード出来るページにあるんですけど、それみてなんかHPの作品を見て反応してくれてのオファーでした。

それが丁度、今住んでる所に引っ越した直後で。引っ越してそこで仕事やるぞ!って思ったらガンっ!って依頼が来て、よっしゃ~~っみたいな。でも何だろう?私も、あんまりでかい相手だからっていう構えも無くて、本当にイルさんとかと仕事をするような感じで。クライアントとしては大きいけれど、自分のやる作品作りのエネルギーとしては、何時もと変わらない調子でやるみたいな。相手のやってる事「この人今こういう感じだから、経歴がこれだから汲み取って、こう来て、こう来て、この時期だから、これしたらどうよ」みたいな。だからここでさっきの2作の経験が生きてくるんですよね。

ー編 「デザインって何してたんですか?」

はじめはライブDVDのジャケットです。その後、ライブの映像やら色々させてもらいました。もうその時期は集中してずーっと半年くらい、その仕事をさせてもらって。

で、ブログを結構、自分の中では、気持ち良く更新していきたかったんですけど、そういう仕事はライブ期間が全部終わってからじゃないと公開出来なかったりするから、そこで一瞬たぶん私の制作期間、止まったなーみたいな時期あったんですよね、きっと。周りから見たら。でも、そん時はそれを凄いやってて結構、自分の中では友達に生存確認的に見せる感覚でやってたブログが段々クライアントが大きくなると何か秘密にしなきゃいけないことも多くなるし、なんとなくこう、遊びに行けなくなったりもしたので皆と距離が出ちゃったのかな?みたいな時期が自分の中にあって。そういう感じで自分の生活環境が全てガラッと変わって引越ししてバタバタしてデカい仕事が来て、結構パワーを去年は前半で使い果たしたんですよ。

で、その後の9月は結構暇で10月にスペクトラム(SPACEMEN 3)来日公演のVJやるんでスペクトラム(SPACEMEN 3)の音を1ヶ月ずっとそればっかり聴いて。9月はずっとそれしか聴いてなかったんですよ(笑)

VJやるにあたって直接コンタクトとれないし、ライブセットも何をやるか当日までわからない状況だったから、これはもうこっちもその場で合わせてやれるようにしよう、と。何だろう、捻りでグルーヴ掴んでくみたいな感じの全く具体的なモチーフを出さないようにして色とかそういう現象だけの実験的なものをやろうって。

それでスペクトラム(SPACEMEN 3)の音は精神世界だし、アシッドサイケだから、もろそこに引っ張られて。私は割りとバッドトリップした状態でしたね。孤独なバッドトリップの中に輝きを見いだすみたいな地点にいた(笑)もう9月に聴きまくってたから(笑) 色々大きい仕事の時もそうなんですけど、まずはこのアルバムとかこの音楽を理解しようと思って、ひたすら音を聴くっていう期間を作って最終的にもう、泣いたんですよ(笑)めちゃ良い曲!って(笑)そこまで持ってってからガ~って作るっていう。心をそこに持ってかないと作れない状態になってて。

それが原因で本当の自分はどこ?みたいな事になっちゃったんですね。そのあと海外旅行も行ったし。
海外旅行っていうのは去年の10月にドイツに行ったんですけど、日常であった、パーティーに行きたくても行けない状況が続いたから一回ベルリンのダンスのパーティーシーンの最高峰を見てこようと。そしたら落ち着いて仕事できるだろうと。それに、たまたまベルリンでも自分の展示会があったりしてオランダ、ベルギーと1人で旅行して。ドイツの展示は、イラストレイティブっていう、ベルリンの人が企画したエキシビジョンで、田名網さんとかも出展されてて私はその枠で映像をちょっと出してもらってたんですよ。で、そのイベントに呼ばれた訳では無いですけど、そういうのあったので行ったんです。地球上のクリエイティブで食っている人が今どんなバイブスなのかも気になったし。旅行中の週末は、私の行く1ヵ月くらい前にベルリンに引越した浅沼優子さんってライターの方にパーティーに連れてってもらってました。ベルリンでBerghain、Panorama Bar、Tresor、Maria、アムスでParadiso、Trouwなど。後は1人で森の方に温泉行ったり海の島の方でサイクリングして城に泊まったり。旅行中は上がりもせず落ちもせずフラットな状態でいたんですけど帰って来たら、金も使っちゃったし私今後やってけるの?って不安が初めてズドーーンって突然襲って来て、もうどん底!みたいになっちゃって。ばかですね~

多分、凄い集中して大きい仕事して、スペクトラム(SPACEMEN 3)して海外旅行行ってって、振り幅が大きかったのもあるんですけど。だから帰ってきてから11月から年末の2ヶ月間は寝てたんですよ(笑)

ー編 「海外旅行から帰ってきてHPの更新とかは何もしてなかったの?」

してたと思うんですけど・・なんか森の写真とか(笑)木の写真とかが多かったと思うんですね(笑)で、せめて消えかけた私の存在感を、なんかもうちょっとアナログな方式で届けたいって思って年賀状を手作りして(笑)今年は心をこめた年賀状を、送ろうと思って、住所知ってる人、全員に送って。ガハハハハ(笑)


ー編 「年賀状で起死回生をしたの?!(笑)」

その無機質と有機質のバランスが保てなくなった所に年賀状で有機質をバーン!ってバラまいて、自分の中でそういう流れが何時もあったんです。で、年賀状あれは結構、良かったよーって反応あったんですよ。

ー編 「あれ?ジャケットデザインを依頼したのって何時でしたっけ、1月?」

ですね。それでイルさんのはジャケットデザインとアーティスト写真もって話だったんで、そこで私がちょっと前に、これから自分がどうしていくべきかって考えた時に、この絵をやってるのと、写真をやってるのと、徐々に融合させてかなくてはと思ったんですよ。そこで丁度アーティスト写真も、って来たので「これ写真を撮る機会だ!」というので丁度カメラも今まで使ってたやつが壊れ始めたし、欲しいカメラが何かあったので、思い切ってそれ買ってあの公園での撮影ですよ!(笑)それで良いのが出来て復活!みたいな(笑)

で、本当に今はまた上手く回り始めれて。次のステップ、実写とか含めたアートワークをやってくというのをやっていきたいなーって思ってたら、カメラマンの人から連絡が来たりスタイリストさんから連絡が来たりして、ちょっと一歩その仕事やってみたりした所で。

ー編 「お、抜けれて良かったですねー!」

そう!なんか自分で攻めなきゃいけない、というのが分かったっていう。カード投げてたのも自分だし。でも(デザインを始めてから引っ越すまで)カードをある程度投げた時に、これでそろったと思ったんですよ。だから今度はカードを積み上げていこうと思ったんですけど、今はもうちょっと、実写も含めるってラインも入ってきてるから、今後どうなってくか、ですねー。

ー編 「で、ジャケットの話をするとデザインはどんな感じで作ったでしょう?」

最初はアーティスト写真として撮影をしたんでですよ。で、家で見たらその写真の中に最高のがあって、ハイタッチが出て、これジャケにしよう!みたいな。

まず360°っていう、キーワードはあるし、それってビジュアル的にこう(指で円を描く仕草)あるじゃないですか?で、イルさんは最初、5曲だけで全シングルのつもりで入れてるみたいなベスト的なミニアルバム、兎に角「塊魂(かたまりだましい)」だと(笑)いうことで最初は1曲づつを聴きこんだビジュアルを5個作って、それをコラージュだか何だかすればグッズ展開にもなるし、1曲づつのビジュアルにもなるし、なんかプロダクツ的な考えも、あったんですけど、えーっとその、アー写を撮るときに「キちゃった」んですよね(笑)その他にも一応、案はあったんですけどこれにしようと。その他にもビジュアルがあって、例えば耳と脳のとか。耳と脳に関しては、あの360°ていうのが、脳から耳へのアウトプットからインプットしてアウトプットに行く、このループ感ていうか。結局聴いてる人1人とか歌詞にもあったけど「おれからみれば君らは音、君らからみればおれも音」とかオーディエンスと自分との立場を同等にとらえてるような歌詞があって、何かそこが結構インパクトあって、なんだろう?「1人の個人の中での感じることだよ」っていう、そういうイメージがあったんですよ。で、耳から脳に直結っていうイメージで、まあロゴ的にも使えるし良いかなと思って。

最初耳から脳の絵は、顔が正面向いてるのと横向いてる、サイケ感が強すぎてボツ案になったラフ案があるじゃないですか?


ああいうテイストを狙ったんですよ。凄くビジュアルインパクトのある、ガンッ!ていうのを。だけどアーティスト写真は、だだっ広い所で、イルさんがあの写真好きなんだけどって言ってくれた、コラージュぽい手法でやろうかなと。

だからその感じで広い所で撮った写真を切り貼りしようと思って普通に撮りにいったんですけど、何かUFOが落ちてたんですよねーあそこに(笑)

ー編 「(笑)UFOが落ちてたというのは滑り台が公園にあったという話ね(笑)」

もう、あれがUFOでした。白い照り返し用備品とかも持ってたじゃないですか?それももう天気良くてこの滑り台の銀色がすでにやってくれてんじゃん!ここでとっちゃいなよ!てUFOからのウェルカムをいただき。なんかその前にここで撮影しようと思って、公園に偵察にいった時は夜だったから、あの照り返しには気づいてなくて、でも滑り台がスピーカーぽい感じだし、でっかい音が出そうな見た目だから、ここの前で撮ってもいいなーとか思ってて。そしたらあの日、凄く晴れてて、照り返し凄くてあそで撮ったら良くて。で、イルさんが今まで、顔をジャケに使った事も無かったし、だけど今回のアルバムは5曲気合の入ってるものだったし、イルさん本人もジャケに出てもいいんじゃないかっていう話になりまして、あれがジャケットになったと。あれは手応えありました。

自分側の勝手な話でいくと、今後写真を使ったアートディレクションを今後やってこうと、というのもあったのも急にそこで実現しちゃったのもあるし、何か前日にまさやさんから電話で衣装何着たら良いんですか?って。で、私が凄い明るめな感じで派手目のって言ったら凄くいいの着て来ていただいて。
それが凄く、私も好きな服みたいな、そういう感じにあわせてきてくれたのかな?みたいな。

ー編 「それは勿論一応、テイストに意識しましたよ」

で、こう(上向きの矢印を指で描き、それが上がっていくジェスチャー)

ー編 「ああ、矢印が来た(笑)確かにね。じゃあボツのアーティスト写真もHPにアップしたいですね、あの怖い写真も(笑)」

(笑)これだとちょっと怖すぎますねっていう。

ー編 「でもあれでテンションあがりましたもんね!」

これ来たでしょー!みたいな(笑)ハイタッチ連続。何かその、顔が物語るものというのをあれで感じましたね。

ー編 「(笑)それで、今後はどういう活動をしていきたいですか?」

その写真を使ったディレクションはもうちょっと大きなフィールドでやって行きたくて。まあ、それは他の方々を含めたチームを作るか、なんかそういう段階なんですけど。でも今までどおり変わらず、「絵」は軸にしたいです。後は今、禁パーティー(遊びに行って無い事)してるので、5月くらいからもうちょっと復活しようかなと。まあでも生活が基盤ですから今住んでいる所の生活を充実しつつ、東京からもっと引っ張って来て、あそこの空気感で、うまい木村(磯料理屋)で食って、作るとかそういうのも欲しかったし。何だろう、楽しんでやっていきたいです。

ー編 「化粧品は?」

あ!化粧品はちょっと狙ってるとこがあって、ちょっと動き始めてるんですけど。何時、実現出来るかわかんないけど50歳くらいまでには、できればいいかな、っていう。

ー編 「できたらいいですねー、念願の化粧品のお仕事(笑)」

アハハハ(笑)でも実際の化粧品広告になるよりは、妄想で、自分が化粧品のブランドたてて、果てしない妄想の中で、それの展示会をやるみたいな。CMと広告とプロダクト、何かパンフレットみたいなのを作るっていう展示をやってみたいっていうのは、自分の個展の企画の中に一個あるんですよ、それも40歳くらいまでに出来たらいいなって(笑)」

 

取材終了後、編集部一同が河野氏を見送りに駅まで行く道中、突然忘れていた思い出のオチを引っ張り出し、「あ、そうだ、その高校時代美術室でチカンに遭遇して逃げた時、廊下にタオルが落ちてたんですけど、そこにでっかい字で「鶴巻温泉」って書いてたんですよ!ガハハハ(笑)」

と、見事に謎なPSを加え、豪快に笑って、藤沢へ行きの電車に乗られました。何ともハツラツとしたお洒落なお方です。ありがとうございました!

 

 

河野未彩 / Midori Kawano

82年横浜生まれ。06年多摩美術大学プロダクトデザイン専攻卒業の後フリーランスとして活動中。堂本剛/DE DE MOUSE/二階堂和美/やけのはら/イルリメ等のアートディレクション、デザインをはじめ、ポップや音楽/時代へのレスポンスとして、グラフィック/プロダクト/映像/写真など様々な分野でイメージを広げる。2010年4/30、初の単独作品集である「河野未彩 デジタル作品集」をiPhone/iPadアプリでリリース。

 

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